逢いたくて、いま
何をするでもなく、ボケ、と座り込む花道の足元で打ち寄せる波がざあ・・と音を立てる。
花道はリハビリ期間の真っ最中であった。
IH二回戦、山王戦で痛めた背中を完治させる為に。
その合間を縫って、少し時間が空くと、大抵近くの浜辺に来てはそこで時間を潰す。特に何をするでもない。
ただ、砂浜に座り込んで目の前の海原を眺めているのだ。
と、砂を踏みしめる規則正しい足音が耳に届く。
花道はそちらを別に振り返りもせず、ただ、そのざっ、ざっ、という音を聞いている。
やがて、その足音を立てる人間が視界の端に届いた。
それは、花道のチームメイト。
流川楓。
何時の頃からか、流川はこの砂浜にロードワークに走るようになっていた。
流川が全日本Jrのメンバーに選ばれた事は花道も聞いていた。それを聞いた時はひとしきり悔しがったものだが。
今も、まだ全日本の合宿は続いている筈なのに、その合間を縫ってる川はここに走りに来る。
以外にも、その合宿所と此処が近いらしいという事は、流川と同じくメンバーに選ばれた牧や山王の河田などから聞いた。
今日も流川は来る。
以前は、ただ通り過ぎたりわざわざ目の前で全日本のユニフォームを見せてみたりもした。
今は・・・、花道の傍まで来ると、その足を止め、花道の横に並んで座る。
花道は、何故とも問わず、ただ、流川の傍で静かに海を眺めていた。
そんな日が何日も続き、花道はふと、隣の流川に目線を移してみた。
すると、流川も花道に目を遣る。
暫く二人は逸らさずに互いの目を見詰めていた。やがて、花道がふい、と視線を逸らす。そして、ぽつりと呟いた。
「なあ、なんで毎日来んだ?練習の後だろ?幾ら近いったって、キツイんじゃねーの、此処まで走りに来んの。」
流川は言われて、少し考える様に目の前の海を見遣り、そして、不意に手を伸ばした。
それは、砂に置かれた花道の手の上に置かれ、重なり、ぎゅ、と握り締められた。
「なっ、お、オイ・・・・っ」
いきなりの流川の行動に、花道は妙に焦り、手を振り解こうとしたが更に強く握り締められた。
「・・・逃げんな。」
「誰が逃げるって?!」
思わず花道はかっとなって流川に向き直ると、彼の黒い瞳が花道の目を見据えていた。
思いがけずに真剣な瞳に出会って、花道は動きを止める。
「・・・逃げんな、頼むから・・ただ、こうしてーだけだ・・・」
流川の表情はあまり変わらないように見える。それでも、花道には分かってしまった。
形の良い眉が微かに寄せられている事。
黒い、綺麗な瞳が熱を帯びた様に光っている事。
そして、自分の手を握り締める大きな手が熱く、汗を帯びた様にしっとりとして、それでも花道の手を離そうとしない事。
分かったような気がした。
分かりたくないとも思った。
それでも、黙っていられず口を開いてしまう。
「あの、よ・・、・・・・なんで・・」
少し俯いた後、そろそろと顔を上げると、流川が目を逸らしもせず花道を見詰めていた。
「なんで、て・・・俺も考えた。ずっとずっと考えた。なんでいっつも此処に来んのか。なんで、今、テメーとこうしてんのか。考えんの、トクイじゃねーけど、一生懸命、考えた。んで、やっと分かった。・・・好きだから、だ」
その答えは、花道にも分かっていた気がする。それでも、信じられない、と思った。
理由は幾らでも思い付く。それでも、真実は流川の口から出た答なんだと、分かってしまった。
「オ・・・、オレは・・、オメーなんか、そんな風に思った事ねえし、ハルコさんはオメーが好きなんだし、オメーはライバルだし・・・」
「テメーはどうしてえんだ、どあほう。」
花道が勢いよく顔を上げると、流川と目が合ってしまった。さっきよりも瞳が熱を帯びて、眉根がどこか苦しそうに寄せられていた。
「他のヤツなんてどーだっていい。オメーはどうしてえんだ。俺が訊いてんのはオメーの気持ちだ。好きか、嫌いか。嫌いっつわれても今更だし、そん位じゃオメーを好きなのは変えらんねえ。オメーが俺をどう思ってんのか、それが聞きてえ。」
花道の手を流川が一層強く握ってくる。
「・・・手、離せよ。」
「離したくねえ。」
「・・いーから、離せよ」
あんまり握られたままだと、困ってしまう。なんだろう、何時もの自分じゃない。
こんなの、オレらしくねえ、とは思うが、何時もの態度には何故か出れなかった。
「オレは・・・よ、よくわかんねー。オメーの事は、キ、キライじゃねーけど、・・本当だ!でも、オメーと同じかどうかなんて、オレにゃわかんねー・・・」
花道らしくない、ぼそぼそとした口調が、次第に蚊の鳴く様な小さいものになっていく。
流川は、目を見開いてそれを聞いていたが、花道の手を握る自分の力を少し緩めた。
今は、それでもいいと思う。嫌われてないと分かって、少し安心していた。
本当は、それだけじゃ足りない。でも、まだ、いい。これからだ。
「・・・分かった。」
流川が花道の手を離した。
「オメーを困らせるつもりはなかった。ただ、伝えたかったんだ。俺は、毎日此処を走る。・・・オメーに逢いたくて。」
そう言って真っ直ぐに花道を見据える。
流川の黒い瞳があまりに真剣で、知らず、花道の頬が火照った。
「明日も、ここ来る。明後日も来る。オメーが此処に居るかぎり、ずっと。」
流川は花道の手を再びぎゅ、と握って、立ち上がった。
「今日は、もう帰る。また、来る。」
そう言って、くるりと背を向けて、また砂浜を走って行ってしまった。
後に残された花道は呆然と遠ざかる後姿を見送っていたが、ふと我に返ると、途端にかああっと顔が真っ赤に火照る。
手に、まだ流川の手の感触が残っている。
まさか、あんなに仲が悪いと思っていた相手から告白されようとは・・・!!
「うわ、わ・・・・」
顔の火照りを治めようとしても治まらない。それどころか、流川の真っ直ぐな瞳と、握り締められた手の感触を思い出す度、心臓までドキドキし始めた。
(アイツ、明日も来る、て言ってたよな。う、・・・明日、返事しなきゃなんねーのかな・・・ありえん。あんなキツネ如きの為にこのオレ様が苦悩せねばならんとは!・・・苦悩?悩んでんのか?オレ・・・・)
花道は再び呆然としてしまった。
そう言えば、告白は散々してきたが、されたのは初めてだという事実にも気付いてしまった。
だからだろうか?こんなに悩むのは。何故かドキドキしてしまうのは。
ふと、片想いしている筈の晴子の事を考えた。
晴子を想うと、いつもほんわかしてふわふわと幸せな気持ちになれる。
晴子の笑顔を見ると嬉しくて、もっと喜ばせたくなってしまう。だから、恋とは幸せなものだと思っていた。
今迄告白してきた女の子達にも同じ様な気持ちになれた。
流川は・・・なんだか違う。自分に「好きだ」と言った、流川の様子は明らかに自分とは違った。
思えば、自分はあんなに真っ直ぐに相手の目を見て想いを打ち明けただろうか?
あんなに苦しそうに、真剣に好きだと言っただろうか。
自分だって、真剣なつもりだった。それでも、告白して振られたら、下手するとその翌日にはもう別の女の子に目を向けていたんじゃないか?
大して悩みもせずに。
いや、悩む事などしなかった。
好みの女の子に告白して、上手くいったら付き合って、一緒に手を繋いで登下校したり、そんな事を夢見て・・・
それは自分が幸せになる為か?
愕然としてしまった。
自分などより、流川の方が何倍も真剣なのだろう。好きになった相手が男なのだから。自分と同じ同性だ。
一生懸命考えた、と言っていた。あの流川でも、流石に悩んだのだろう。
初めから、障害ばかりの恋を選んだのだから。
そして、ふと思った。
流川も男で自分も男なら、一言で済む事だと思われた。同性同士なのだから。
でも、多分、それは出来ない。どうしよう・・と途方に暮れてしまった。
いつかは答えを出さねばならない。でも、まだ見つからない。
明日の事を考えると、気が重くなってしまった。
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