掌に天上の蓮華花開きて
いつもの濡れ縁で、二人はゆったりと酒を酌み交わしていた。
射干玉の闇に浮かぶ、充分に満ちた、しかし望月にはまだ足りない月が柔らかく、
けれど冴えた光を二人にも降り注ぐ。
頃は徐徐に盛夏に差掛かろうとするこの時節。
昼間の暑気が今は和らぎ、僅かに涼を帯びた風が心地よい。
「明日から十日の間、主上の遣いで叡山に赴く。」
やや唐突に博雅が告げた。
「主上が叡山から経典を借りられて、それで写経をされてな。それを納めにゆくのだよ。」
「ふうん、あの男も余程暇が有り余っていると見える。」
「晴明!いつも言っておるだろう。主上をあの男などと…」
「おまえしか聴いておらぬよ。」
己の言葉にいちいち真面目に反応する友の姿を愉しむ様に、晴明が切れ長の瞳と
紅い口元を綻ばせて酒を煽る。
「ちぇ。」
博雅がやや口元を尖らせそっぽを向く。
「ふふ。まあそう拗ねるな。そんな顔も可愛らしいがな。それでは、今宵は名残の
宴といこうぞ。機嫌を直せ。」
「むう…」
何か丸め込まれた気がしないでもないが、空いた盃に酒を注がれ、素直にそれを
煽る。
「それで、何時まで向こうに居るのだ?延びる事もあるのか。」
「うむ。七日から十日までか…まあ、その位か。経典をお納めしたらすぐ戻る
つもりだからな。」
「そうか。」
と、不意に晴明の白い顔が間近に迫った。
と思った瞬間、博雅は顎を捉えられ、柔らかな唇を晴明のそれに塞がれていた。
「んん…」
口内に舌をするりと差し入れられ、深く絡められて吐息が漏れる。
漸く唇が離れると、首筋に唇を押し当てられた。
「あ…」
「これより暫くおまえには宮中でも逢えぬのだからな。暫しの名残を惜しんでも
よかろう?」
「せいめい…」
博雅は瞳を潤ませ、晴明の首にそっと腕をしなやかに絡めた。
再びその唇に口付けると、そのまま博雅を抱き上げ、奥へと向かった。
御簾がはらり、と微かな音を立てて降りた。
「は…あ…」
寝所の奥、几帳を立て回した褥に甘く濃密な気配が立ち込める。
ぴちゃぴちゃと淫らな水音が響く度、甘い喘ぎが博雅の開かれたままの唇から断続的に漏れる。
博雅はうつ伏せて臀部だけを掲げた姿勢で、後ろに晴明の愛撫を受けていた。
晴明は博雅の尻を掴み、その奥の秘所に舌を這わせている。
周りの襞を舐め回し、細く尖らせた舌先で内に潜り込ませる。
「ああ:ん、…せ、い:」
博雅の聲が高く掠れ、腰が淫らに揺れる。
晴明は一旦唇を離すと、散々その舌で濡らし、解した秘孔に指を一本、つぷりと
突き入れた。
「ああんっ、」
びく、と博雅の背が撓る。
更に晴明はもう一本、指を増やし、内で動かしてみる。
「はあっ!」
指を含んだ処がきゅ、と締まる。
その動きに誘われる様に晴明の指が更に奥に潜り込み、内を掻き回す。
と、その指がある膨らみに触れた。
「んあっ!」
更に博雅の腰が揺れる。
悦楽点を探り当てた晴明は、執拗に其処を責め立てた。
その度に博雅は高く甘い聲を漏らし続け、晴明の指が蠢く度に、それを銜え込む
壁がきゅうっと締まる。
晴明はその様に目を愉しませ、ひたすら指と舌で博雅の秘所を解そうとしていた。
その度にぐちゅぐちゅと水音が淫らに響く。
「あ…あ、ん…せいめ、もう…」
「もう堪えきれぬか。おれも最早堪らぬ。」
晴明にも余裕は既に無かった。
些か性急に指貫を緩め、既に猛りきって反り返る、己のものを取り出すと、博雅の
散々解された其処に押し当てる。
「あ…」
「いくぞ…」
晴明の熱い囁きと共に、宛がわれたそれがぬぐ…と其処に押し入る。
先端をゆっくりと突き入れ、やがて徐徐に全体を飲み込ませていく。
「ああ…」
その感触に博雅が息を漏らし、腰が揺れる。
そのまま動かさずにいると、焦れた様に内壁が蠢いて晴明のそれを締め付けたり、
無意識の内に淫らに晴明を誘う。
「博雅…」
晴明もその誘いに余裕を無くし、途端に博雅の腰を掴んで動きを再開させる。
「ああっ!!」
「博雅…ひろまさっ!」
晴明はひたすら腰を激しく打ち付ける。
その度に湿った音と、空気が入って肌がぶつかる音が響き渡る。
「やあっ、あんっ…!!せ、め…っっ!!」
博雅が甘く啼き、晴明の動きに併せる様に腰を淫らに揺らす。
晴明は腰を打ちつけながらも、更に博雅の腰に手を掛け、そのまま身を起こし、
博雅の躯を己の膝の上に乗せてしまう。
「やあああっっ!!」
自らの重みで晴明のものを思わぬ深い処まで感じてしまい、その衝撃に博雅の背が
思い切り撓る。
「博雅…」
晴明は動きを止める事は無く、突き上げながらも博雅の胸に手を廻し、ぷっくりと
紅く勃ち上がったその蕾をきゅ、と摘む。
「やあ、あんっ!」
思い掛けぬ刺激に博雅の躯がびく、と揺れる。
いつか、晴明の手は博雅の胸の蕾をくりくりと摘み、捏ね回し、もう片方の手で
博雅の下肢を弄り、その蜜をしとどに垂らす中心を扱き上げる。
「やん!あ、ああっっ」
博雅は最早、晴明の絶え間ない愛撫に翻弄されるのみだった。
晴明の巧みな手淫と突き上げに身を悶えさせ、閉じられる事のない唇からは高く
甘い聲が絶え間なく漏れ、腰は晴明の動きに合わせる様に淫らに揺れ、晴明のものを銜え込んでいる後孔が貪欲に、悦楽を求める様に蠢き、晴明に堪らない愉悦を
与える。
「ふふ…博雅、悦いか…?そんなに締め付けて…」
「あ、あんっ!い、いい…ああっ…」
「博雅…ああ、まこと、おまえは何と可愛らしい…」
「や、ば、か…」
晴明は甘く博雅の耳元に囁きながらも、其々の手で博雅の胸や下肢を弄り、博雅の
腰に手を掛けて一際強く突き上げる。
「あああっ…やあ、あ、ああっ…」
博雅はただ、頭を打ち振って悦楽に身悶えるばかりだった。
ぱさぱさと、艶やかな黒髪が肌を打ち、汗が滴となって伝い落ちる。
その度に晴明を咥え込んだ博雅の肉壁がきゅうっと締まり、晴明に堪らない悦楽を
齎す。
「ひろまさ…」
晴明の息が荒く、余裕の無いものになっていく。
限界が近い。
博雅の脚に手を掛け、その躯を持ち上げて突き上げを繰り返す。
「はあっ!あ、あああっ、あっっ」
博雅の躯が悶え、脚の狭間の陰茎もびくびくと震え、反り上がり、絶えず先端から
蜜を噴き零し続ける。
と、不意に晴明がその先端を指で包み、ぐりっとくじった。
「や!あっ、ああああーーっっ…」
余りの刺激に堪え切れず、博雅はびくびくと背を反らし、躯を痙攣させながら勢い
よくその精を吐き出した。
晴明を咥え込む肉壁もぎゅるぎゅる…ときつく締まり、その締め付けに堪え切れず、
晴明も低く呻いて博雅の内に勢いよく精を叩き付ける。
「あ…あ…」
博雅は恍惚としてそれを受け止め、暫く躯を震わせていたが、躯から力が抜け、
晴明の胸に凭れる。
大乗戒壇院。
此処で天台宗の受戒が行われる。
ひっそりとした、小振りな建物である。
しかし、最澄が何よりの悲願とし、それが生前は果たされなかった建物。
それを思い、博雅は思わず懐に手を入れ、葉双を取り出していた。
そして、徐に唇に宛て、奏し始める。
その音色は、静かな山の内に、緩やかに厳かに響き渡る。
薄暮の空を彩る冴えた月に、静粛な雰囲気を醸しだす杉の木立にその音は溶け込み、
微かな余韻を残して山の隅々に溶け込んでいく。
その博雅の姿は辺りの木々や山の気と一体となり、其の時博雅の意識は何処までも
拡がってゆく。眼を閉じていても木々の肌が、梢が、更にこの山の麓の淡海の湖
の細波までも感じ取れるようだった。
やがて、音が切れ、笛を惜しむ様に唇から離す。
暫く余韻に浸り、うっとりと虚空を眺めていたが、ふと、唐突に何かを感じた。
建物の前に、先刻まで無かった筈の人影があった。
「や、これは…失礼致しました。」
博雅は慌てて笛をしまい、頭を下げる。
此処は修行の聖地。妨げになったかと思ったのだ。
その人はにこりと微笑み、
「構いませぬよ。どころか、もっと聴いていたい心地です。あのような音は初めて
耳にしました。」
どこかうっとりとした眼差しで穏やかに話すその人の姿を、博雅はじっくりと、
不躾にならぬ様に眺めた。
僧形であるからにはこの山の修行僧なのだろう。
思わず、その姿に魅入られる様に見入ってしまっていた。
その僧は、博雅が知っているどの僧よりも美しい姿をしていた。
丈が高く、博雅とそう変わらない。
色白の柔和な面立ちはそのまま高位の貴族や皇族であっても通用しそうに品があり、
柔らかく笑みを刻んでいる口元は紅く、どこか艶かしくさえある。
だが、その目元は穏やかでありながら、ひた、と博雅を見詰めている。
黒目がちの瞳が濡れた様に輝き、ひたむきな程真っ直ぐな眼差しだった。
その目元美しいこの僧が、見た目とは裏腹に強い意志を秘めている、と知れる。
博雅がそこまで見通す事が出来たのは、偶然ではない。
既に陽は傾き、辺りがぼんやりとした薄明るさと仄暗さに包まれるこの刻。
人の顔貌などはあまりはっきりと目には映らない。
それが、そうさせたのはその僧自身がぼんやりと浮き立って見えたからだった。
なぜかその僧の姿が淡く白い光に包まれ、その光でその僧の姿が陽の光の下の様に
はっきりと目に捉える事が出来た。
それに博雅が戸惑っていると、目の前の僧が微笑んで博雅に語り掛けた。
「先程の笛はまこと、素晴らしいものでありました。貴方様はよくこちらには
おいでになるのですか?」
「あ、いえ、実は今日、初めてこちらに参りました。先程、こちらの方にこの辺り
を少し案内して頂いたのですが、ふと、この御堂が心に残り、思わず笛を奏でて
いたのです。もしや、行の妨げになりましたか?」
「いえいえ、滅相もござりませぬ。あの音を聴けば、尚一層務めに力が入る、と
いうものです。そうですか、この戒壇院を御心に掛けて下さいましたか。私も、
此処に戻る度、想いを巡らせてしまいます。常に迷ってしまいます。
私が信じて突き進んできた道は、私自身は正しかったと今も思います。ですが…
あの時、あの方が学んだ教典は私とこの山に果たして必要であったのか。
その教えをいっそ知らぬ方が私は迷わずに済んだのか。そして、あの方は私をどう
見ていたのか…」
そう語るその僧の瞳は虚空を見詰め、此処に居ない何かを、誰かを想う様にも
見えた。その姿は、あまりに儚げで、今にも消え入りそうな感じを抱かせた。
「あの…私は此処にはあまり居る事は出来ませんが、もし、再びこちらに来る事が
あれば、此処でまた笛を奏でましょう。その音がもし貴方に届いたなら、貴方の
お心に僅かの慰めとなるのでしょうか…?」
博雅がそう申し出ると、その僧は目を見開き、にっこりと嬉しそうに微笑んだ。
「有難うございます。それは何よりの慰めでございます。私などの為に貴方が妙
なる音色を届けて下さる。その御心だけで私は充分に嬉しく思います。」
そう、目を細めて微笑むその僧の姿が次第にぼやけ、博雅が気が付いた時にはそこには何も無かった。
「あれは…?あの人は一体…?」
もしや、この世の人ではなかったのだろうか。
「空海どの…」
最澄が低く呟く。
「空海どの…」
その声は心なしか震え、懐かしさに溢れている様で…
晴明と博雅はその人影を見詰めた。
端座し、瞳を閉じたその相貌は、精悍さに満ちている。
角ばった顎と太い眉は意志の強さを表しているように思える。
「あの方が、空海和尚…」
博雅がどこか呆然とした面持ちで呟く。
空海と言えば、真言密教をこの国に齎しただけではなく、その偉業の故に、彼を
崇める事、既に人に対するそれではない。
同時代の人々ですら彼を神の様に崇めていた。
まして、それより後の時代の人々には神も同然だった。
醍醐帝の御世に大師号を賜った「弘法大師」を今、目の当たりにするなど…
呆然とする博雅を他所に、最澄は姿を現した空海の傍に寄り、潤んだ瞳で彼を
見詰める。
「やっと、お逢い出来た…」
その声が微かに震えている。
それは、如何なる想いから出たものか、晴明と博雅には計り知れない。
伝え聞く処では、この二人は互いに交流を交わしていたが、ある二つの事が原因
で絶縁してしまった。
一つは、最澄が空海に借用を依頼した経典を、空海が断った事と、最澄の愛弟子が
空海の許に留まり、遂に帰ろうとしなかった事。
それだけを聞けば、この二人の間には、特に最澄は空海に、憎悪に近いものを
抱いていてもおかしくなさそうだが、今見る限りでは、最澄にその類の想いを
感じる事は出来ない。
寧ろ、やっと再会できた喜びと懐かしさに溢れている様な、最澄の表情だった。
「空海どの…やっとお逢い出来た…この時を、待っていました。ずっと…永い間。」
「それ程に、何故私を待っていたのです?あなたは…私を憎んではおられないのか。」
最澄は静かに目を伏せ、ゆっくりと語りだした。
「いいえ、私はあなたを憎んでなどいない。いつ、如何なる時でも、私はあなたを
憎むなど出来はしなかった。ただ、何故、という問い掛けと、哀しみがあるのみ
です。それは、弟子が私の許を去ったからではない。経典を借りられなかったから
でもない。何故、あなたと共に歩めなかったのか…」
そこで言葉を詰まらせた最澄を、空海は痛ましそうに見遣り、言葉を掛けた。
「最澄どの、私達が道を違える事は、遅かれ早かれ、何時かは訪れた。
あなたは天台法華、私は真言密教と、目指すものが全く異なっていたからです。
きっかけがあったから私とあなたは違う道を歩んでいった。それだけの事なのです。」
「それでも、私はあなたと共に歩みたかった。私は、あなたと離れたくはなかった
…」
必死に言葉を紡ぐ最澄の瞳は、あまりに真摯に空海を見詰めていた。
瞳を潤ませ、頬を紅潮させたその姿はまるで…
「最澄どの…あなたは…」
空海が最澄に触れようとしたが、器を持たぬ魂魄では触れる事が出来ない。
「晴明…もしや最澄どのは…空海どのを想うているのでは…」
「そのようだな…」