新緑
四時限目終了のチャイムが鳴り、今迄机に突っ伏して快眠を貪っていた流川は、些か寝ぼけ気味ながらも目を開き、むっくりと体を起こした。
寝る事が趣味のこの男にも腹時計は備わっているらしく、空腹を覚えるこの時間にはかっきりチャイムと同時に目を覚ます。
バッグを漁って弁当を取り出し、それを持って教室を後にする。
今しがたまで寝こけていた余韻が残っているのか、ボケボケした頭と半開きの目で、それでも目的地へと歩む足取りに惑いは無かった。
彼が向かった先は、余り一般生徒が立ち入る事はないと思われる、普段授業を受ける教室が並ぶ校舎とは別棟。
そこは教室移動などで向かう、様々な用途を主にした、所謂理科室や視聴覚教室などが並び、その中に流川の目的の教室も存在する。
其処の表示には数学準備室、とあった。
一応おざなりにノックし、無言で扉を開ける。
「・・・またオメーか。いっつも言ってんだろ。せめて一声掛けやがれ。」
其処には既に先客がいた。いや、正しくは、彼こそこの教室(殆ど物置に近いが)の主なのだ。
「・・・一応ノックした。またココでメシ食う。」
部屋の主の許しも待たず、のそのそと中に入り、扉を閉める。
「またか。何だってこんなトコまで来てメシ食う気になんだか。まあいーや。適当に掛けろよ。ナンも出ねーぞ!」
部屋の主が深い溜息と共に、自分も昼食を開始しようと、自作の弁当を取り出し、机に広げる。
彼は桜木花道といい、目立つ紅い髪をしてはいるが、れっきとしたこの湘北高校の数学教師である。
まだ若い。今年の春、新任教師としてここに赴任したばかりだった。
数学の教師であり、1年10組の副担任をも受け持つ彼は、この、自分が受け持つクラスの生徒である流川楓を胡乱げに見遣る。
この流川という生徒はどうやら些か変わり者のようで、昼には決まって弁当を持参してこの数学準備室に現れる。
何度も、こんな所じゃなく、教室とか学食で食べたらどうだ、と言ってはみたのだが、何処で食おうと俺の勝手だ、と返されてしまった。
といって、花道も、流川の事は別に嫌いではない。変わり者で、何を考えているのか読めない所はあるが、まあ、悪い生徒ではなさそうだ・・・多分。
他の教師からは、授業中は寝てばかりでまともに聞いていた例が無い、と敬遠されてはいるようだが、自分の授業は一応起きて聞いているようだ。
昼時にもわざわざ此処に来て食べるからには、もしかして自分はこの生徒に懐かれているのだろうか、とも思う。
実は花道の推測通りで、流川は花道に好意を抱いていた。しかも、一方ならぬ想いを、だ。
詰まる所、流川は花道に想いを抱いていた・・・生徒が教師に抱く親しみなどを遥かに越えた、恋愛感情を。
一体いつから彼を想う様になったんだろう。
目の前で動く彼を眺めながら、ふと思う。
流川の視線の先で花道はジャージに包んだ体躯をしなやかに動かせてオレンジ色のボールを操る。
花道は男子バスケット部の顧問も勤めていた。
大学までバスケをやっていた、という彼のスキルはかなり高度なもので、そのまま行けばプロにもなれたのだろう。
以前にそれを他の生徒に訊かれた時、彼は何でも無い事のように言った。
高校の時痛めた古傷が再発したから続けられなくなったのだと。
それでも彼は笑う。笑ってボールを手にする。そんな彼の姿を目にする度、流川の中に何かが生まれた。
花道から目が離せなくなった。ただ、彼を見ていたいのだ。
笑う顔をもっと見たくて、声が聞きたくて、流川なりに、もっと彼の傍に居られる方法を一生懸命考えた。
教師と生徒だとか、そんなのどうだっていい。だから昼休みに彼の許に押し掛ける。
部活だって居残りする。その時には花道も残る。
生徒を一人だけにするのが心配なのもあるだろうけど、もっと体を動かしたい、と言っていた。その時から彼との居残りは続いている。
「おーしルカワ、そろそろ上がろうぜ。あんま遅いとウチの人心配すっぞ。」
「・・・ウチの人間はオレより遅せー方が多い。だから気にする必要はねー。」
「そっか。んじゃどっかでメシ食ってくか。そんでちゃんと家まで送ってやっから。」
「いっつもガキ扱い。気にいんねー・・・」
「だって実際ガキだもんよ。まーだ15だし。コドモは素直にオトナに甘えてきたまえ!」
わっはっはっと上機嫌で笑い、自分とあまり背丈の変わらない流川の頭をぐしゃぐしゃ撫でる。
それが余計に子供扱いされているように思えて、不機嫌を隠しもせず手を振り払うと、ボールの籠を用具室に戻しに行く。
籠を所定の位置に戻すと、花道も掃除用具を取りに入ってきた。
不意に、流川が入り口に向かい、扉を閉める。
「オイ、なんで閉めんだ。」
「センセーに聞きてーコトがある。」
「んだあ?」
「センセってカノジョいんの?」
「ああ?そんなん訊いてどーすんだよ。」
「知りてえから。いんのかよ、カノジョ。」
「ヒトにモノ聞く態度かよソレ。いねーよ、今はな。」
「今?前はいたんか。」
「オメー、オレを幾つだと思ってやがる。フツーこの歳ならいねー方がオカシイだろ。教師になっと忙しくてな。付き合ってる暇が無くなった。向こうも入社したばっかで余裕無かったし・・自然消滅ってヤツかな。」
「・・・ふーん。」
「ってなんだよオメー。ヒトにここまで聞きだしといてよ。何が知りてえんだ。」
「ま、センセにオンナがいたっていなくたってオレにはカンケーねーけど。・・・おんなじだから。」
「何だってんだよオマエ・・・・」
唐突に流川が花道に近寄り、その腕をぐい、と掴む。更にそのまま壁際に移動し、だん、と目の前の体を押し付けた。
「イテーな!んだよル・・・」
花道はその続きが言えなかった。目の前には教え子の秀麗な顔が在り得ないほど近くに迫っている。
唇に、何かが触れた。
懸命にもがいてみても、自分の体重をそのまま押し付けてくる流川の体は中々動いてくれない。
唇も、押し付けたまま離してくれない。
いや、時折、花道の唇の感触を愉しむ様に啄ばんだり、下唇を甘噛みしたり・・その内、薄く開いた隙間から何かが忍び入ってきた。
それが流川の舌だ、と気付いた時には、自分の舌を絡め取られた後だった。
「んうっ、う、う〜〜っっ」
なんとか流川を引き離そうと、その背中を叩いたりしてみても目の前の不埒な生徒は唇を離してくれない。
どころか、更に舌を深く絡め、殆ど貪る様に口腔を蹂躙してくる。
(んのヤロ〜〜っっ)
突然、流川が顔を離した。口元を手で押さえている。唇が微かに切れていた。
どうにも自分を離してくれない流川にキレた花道が、相手の唇に歯を立てたのだ。
「イテーな・・・」
「トーゼンだ!オイタをしたら叱るのは常識だろうが!オイ、フザケんにも程があんぞ!!」
「フザケてなんかねー。」
「じゃあ何だってんだよ。話くれー聞いてやっからちゃんと説明しろ。」
「アンタが好きだからした。」
「へ?」
「聴こえなかったか。アンタが好きだっつったんだよ。」
「え、す、好きって?そ、そりゃあ生徒が先生ん事慕うのは有難てーけどよ・・・」
「どあほう、そんな好きじゃねー。今キスしただろーが。俺はアンタに触りてーしキスしてーしセックスもしてー。そういう好きだ。」
「ええええ?!お、オイ、ちょっと待てよ・・・」
花道は途端に混乱した。それも当然だった。今の今まで、男子生徒からそういう目で見られていたとは全く想像も付かなかった。
先程の自分の台詞を証明するかのように、流川が直向きな目を花道に向けてくる。
いつもは涼しげだとも思えた切れ長の瞳が、実は全然そうじゃなかった事を思い知らされた。
漆黒の瞳が確かな熱を湛えて、想い人を見据えている。燠火が其処に燻っているかのようだった。
「・・・で、俺に告白して、オメーはどうしたいんだよ。」
「俺を受け入れてほしー・・」
「それこそフザケんな。俺とオメーは男同士だ。俺はノーマル志向なんだよ。いっくらオメーが綺麗なツラしてたって、受け入れろなんてのは無理な相談だ。その他にも俺は教師でオメーは生徒。教師が生徒に手出したら犯罪だ。俺もオメーもこの学校にゃいらんなくなるぞ。とにかくリスクばっかだ。ちっと正気に戻れ。気の迷いなんてのはよくある事なんだよ。」
「気の迷いなんかじゃねー・・・俺だってイロイロ考えた。そんでも、ガッコ来てアンタの顔見るともうダメだ。さっきみてーなコトもっと一杯したくなる。触りてーてのもホント。偶に抜く時アンタん事思い浮かべる。寝る時だってアンタが夢に出てくる。
気の迷いなんかで、こんなに一人のコトばっか考えてるもんか・・・・!」
「おい、ルカワ・・・・」
花道は最早二の句が告げず、戸惑うばかりだった。
流川の想いが真剣なのは分かった。それでも・・自分にはどうする事も出来ない。
流川を生徒として大切に思うなら尚の事。
「・・・お前の気持ちは分かった・・つもりだ。でも、今すぐ俺にはどうこう出来ねーよ。俺の立場も分かってくれねーか・・・」
「・・・じゃあ、アンタの気持ちが変わるまで待つ。それまで、アンタに触ったりとかキスとか、しねーように努力する・・・・アンタを困らせてえ訳じゃねえ。俺が生徒じゃなくなったらいいんだろ。俺がこの学校出たら、そん時こそ遠慮しねーから。」
「後二年もあんだぞ。オメー、我慢出来んのか。」
「出来ねーっつったら応えてくれんのか。」
「う・・・・・」
「なら我慢する。アンタを諦めるくれーなら、二年間、我慢するくれーなんでもねえ。そん代わし、口には出す。アンタが好きだって言い続けてやる。」
「まったく・・・とんだ教え子持っちまったぜ・・・しょうがねえ、そんくれーは許してやるよ。お預けくれーは覚えたみてーだからな。ちっとご褒美やんねーとな。」
「今すぐクレ。」
「チョーシ乗んじゃねーぞキツネ。いいか、俺に触んなよ!オメーが卒業したら口説くなりなんなりしたらいーだろ!」
咄嗟に花道は顔を背けてしまったので、その時流川が浮かべた表情を見逃してしまった。
流川は、その色白の秀麗な顔に、目を奪われる程の微笑を浮かべたのだった・・・
流川は放課後の別棟校舎をやや大股で歩いていく。
只でさえ長身の彼が、そのコンパスを最大限利用すれば長い廊下も僅かな距離でしかないように思える。
目指す先は数学準備室。この三年間通い慣れた、彼に取って大切な人間が常駐する場所。
その教室の引き戸を些か乱暴にガラっと開けると、この部屋の住人が振り向いた。
「んだ、またオメーか。んっとにヒマ人だな。何かっちゃココに来るんだもんよ。」
「そりゃー少しでもアンタの傍にいてーからだ。どあほう・・・」
流川は更に大股で此処の住人、数学教師の桜木花道の許に歩み寄り、その頬にそっと触れる。
「オイ、忘れたんか。オメーが高校生の内はガッコで手出さねーって約束だった筈だぞ。」
「もーイイだろ・・・明日卒業式だし。折角だからこういうシチュ、楽しみてーし。」
教え子の熱を孕んだ眼差しを間近に見て、花道は溜息を吐く。
出逢ってから三年。二人の関係は最早、教師と生徒だけの立場ではなくなっている。
この目の前の教え子はバスケ以外でもオフェンスの鬼だった、という事実をしっかり痛感させられた。心身共に。
学校では禁じていたが、二人は既に身体の関係にも及んでいる。
週末などに流川が花道のアパートに転がり込み、そこで花道の手料理を味わい、寝室まで共にする。
始めは抵抗も試みたが、度重なる流川の攻勢に、遂に折れたか絆されたか、とうとう許してしまった。
それからは花道の許に来ると必ず身体を繋げる。最近では花道もすっかり慣れて、それなりにこの生徒との情交を楽しんでいたりする。
それでもソレを許すのはあくまで学校以外であって、この三年間、校内では断じてコトに及んではいない。
それが自分にとってはせめてもの嗜みであり、流川との約束でもあった。
本当は、生徒に手を出した(この場合は教師の方が出された)時点で、教師失格だと解ってはいる。
社会的に見ても、色々とリスクばかりが多いこの恋を選び取るなんて、思ってもみなかった。
明日は卒業式。流川はこの高校を卒業し、社会に出ていく。その時、少なくとも自分達の立場は対等なものになる。
それだけでも、せめてもの救いにはなるんだろうか。
花道は、自分を抱き締める流川の背中にきつく両腕を廻した。
「ん・・・う、んっ・・・」
どこか押し殺した様な、掠れた聲が数学準備室に充満する。
花道は椅子に座っていた。けれど、シャツの前は全開にされ、下肢までもスラックスは足首まで下ろされ、流川がそこに跪いている。
よく見ると花道の股間で流川の頭がしきりに揺れていた。
薄く形の良い流川の唇には花道の雄が銜え込まれ、頭を振りたててそれを責め立てる。
「ああ!は、あっ・・、ル、カぁ・・・」
花道が感じ入った甘い聲を漏らす。
その聲に益々煽られて、流川は更に激しい愛撫を施し、その先端をきつく吸い上げた。
「あああっ・・・・」
尾を引く掠れた聲と共に、花道は流川の口内に熱い精を迸らせた。
それを余さず飲み込み、未だ息が整わない花道の体に手を掛け、後ろ向きにさせる。
自分の目の前に、花道の形の良い尻が突き出され、流川はにんまりと笑う。そして、其処にも舌を這わせた。
「あんっ、オイ、まだやんのか・・・・」
「んな中途半端じゃ収まんねーだろ。アンタも、な。」
流川の舌が花道の尻の狭間に捻じ込まれ、花道は息を飲む。
「ならさっさとしろよ・・・」
「言われなくても。目一杯よがらせてやっから。」
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