桜色舞うころ
「おー、いー眺め!」
花道の歓声が風に乗って、何時もより更に流川の耳に大きく響く。
今年、二年生の春を迎えた二人は、横浜に来ていた。
春休みも部活はあったが、最後の数日は休みになったのだ。
入学式の準備などで体育館が使えない為である。
そこで、去年の秋ごろから花道と付き合い始めた流川はこの機会を逃す事なく、泊まりで遊びに行こう、と花道を誘った。
花道も、些か照れながらも了承し、取り敢えず同じ県内で、手っ取り早く観光を楽しめる所にしたのである。
二人が居るのは山下公園。
園内の枝垂桜は今を盛りと咲き誇り、左手を見れば、埠頭に浮かんだ氷川丸が優美な姿を陽光と、海からの照り返しに晒している。
「なあなあルカワ!船乗ろうぜ!」
言いながらも既に花道の足はそちらに向いている。
「ちっと待てどあほう!」
舌打ちしながらも流川の瞳は、はしゃぐ花道を眩しそ
うに眺めていた。
と、この麗らかな春の陽気にそぐわない、些か不躾な声が段々近付いてきた。
「待ちやがれ!このヤロウ!!」
それには花道も気付いたらしく、怪訝な顔でそちらに目を遣る。
二人が目を遣った先から、男が一人、必死の形相で走ってくる。
更にその後方から、やっぱり男が今度は二人。その男を追いかけている様だった。
ちょっと見には、チンピラ同士のいざこざだろうか、と考える。
と、先に走っていた男が花道の前で立ち止まり、咄嗟にその腕を掴んで引き寄せた。
そして、花道の頭に何かを突きつける。
「どあほう!」
「・・・えーと、ルカワ、何だコレ?コイツ、何持ってんの?」
「・・・オモチャかどーかわかんねーけど、拳銃じゃねえ?」
「・・・・・・じゃあ、コレ、ホンモノだったら、撃たれたら、オレ、死ぬよな?」
「・・・多分」
その時、首に腕が廻されて、別の方向を向かされた。
「来るな!それ以上近寄ったら、このガキの頭に一発ブチかますぞ!!」
花道を拘束している男の視線の先には、二人の男。どちらも、手に拳銃を持ち、サングラスを掛け、男との間合いを計っている。
「あらまあ、溺れる犯人は赤毛をも掴むって?」
「藁だろ。ま、人間、追い詰められりゃ色々考えてらんねーしな。」
何とも緊張感の無い軽口を叩きながらも、二人の銃口は明らかに花道を拘束している男に向けられていた。
「なあ!アンタら、ヤクザさん?それとも、ケーサツの人?」
いきなり、人質に取られている筈の花道がサングラスの二人に問い掛ける。
それに一瞬面食らった二人だが、その内の一人がに、と笑って答えを返す。
「オレ等は一応ケーサツの人。港署のセクシー大下とこちらダンディ鷹山。」
「へー、刑事つってもイロイロだな。サツはキライだけどよ、何の関係もねえ人間を人質にするヤツはもっとキライだしな。」
言うなり、花道は足を振り上げ、思いっきりそれを、自分を拘束している男の足元に下ろし、ついでにぐりぐりと渾身の力を込めて踏み躙った。
「うわぁっっ」
堪らず男は花道の首から手を離した。
その隙に花道は男の顎に思いっきり頭突きを食らわす。
「ぎゃあっっ」
あまりの威力に男が仰け反り、その場に倒れ付した。
花道の頭突きは謂わば彼の必殺技である。それをまともに食らったのだから、一溜まりも無いのは当然だった。
即座に二人が駆け寄って倒れた男に手錠を掛ける。
その顔を覗き込んで、二人は呆れた。
「あらら、完全に伸びてるよ。凄いねえ、キミ。頭突き一発でさ。」
「いや、ご協力感謝。で、君の名前は?」
「・・・湘北高一年、桜木花道。」
「あれ、ハマの人じゃyないのね。観光?」
「おう。コイツと横浜に泊まりで遊びに来たんだ。」
「ふーん。で、そっちのお友達は何て名前?」
「・・・流川楓。」
「へえ、桜に楓か。一人だけでも充分風流なのに、それが二人共、なんてねえ・・」
二人の内、小柄で細身の方、大下勇次がサングラスを外して花道と流川を眺める。
外見も実に対照的な二人だった。
方や赤毛、方や黒髪。そのまま、名前が示す季節のイメージにも重なる。
「取り敢えず、二人とも一緒に署まで来てくんない?犯人逮捕に協力してくれたんだ、感謝状位出るだろうからさ。な?」
「うーん・・・別にオレ、んな大した事したつもりじゃねーしさ。自分に銃突き付けられたのも、関係ねー人間を人質にしやがったのも許せねーって思っただけだし。オレなら、出来るかもって思ったから、ああした。」
「にしても、危なかったんだぞ。一歩間違えば、お前の頭は吹っ飛んでたんだからな。ああいう時は俺達に任せとけ。人質を助けんのが最優先だからな。」
「うん・・・そっか、アレ、ホンモノだったんだ・・・オレ、ホンモノ見んの初めて・・・・」
「ま、普通はそうだろうな。今になって怖くなったか?」
「うん、あん時は夢中だったけど・・・」
勇次は優しく笑い、花道の背中を軽く叩いた。
「んじゃ、一緒に行く?」
「んーと・・・やっぱいーや。オレ等、まだあちこち見たいし。あの船にも乗りてーし・・・それに、ケーサツ苦手・・・」
「そっか。んじゃ、名前と連絡先だけでも教えてくんない?」
勇次がスーツの胸ポケットから警察手帳を取り出すと、花道が「ホンモノだ!」とはしゃいだ。
その様を、煙草を銜えながら鷹山が笑みを浮かべて眺めている。子供の相手は勇次に任せた方がいいのだ。
そこで、赤毛の連れのもう一人の少年をちらりと見遣る。
そこで初めて、この少年がえらく整った顔立ちをしているのに気が付いた。
背も随分高い。鷹山を優に超している。
しかし、その秀麗な眉目は、些か不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「悪いな、時間取らせて。一応、色々聞く事があるからな。」
「別に・・・・」
そう、一言だけぼそりと呟いたまま、鷹山とそれ以上話す気は無いらしく、自分の相方の方を眺めたままだ。
こりゃまた、取っ付き難そうなガキだな、と鷹山は呆れた。
このまま、此処に居続けるとこの少年の機嫌はどんどん悪くなるばかりだろう。
「おい、勇次。そろそろ行こうぜ。ソイツ引っ張ってかなきゃなんねーし。」
鷹山が手錠を掛けられて伸びている犯人を顎でしゃくる。
「おう。んじゃ、またな。気を付けて行けよ。また会ったら、ハマ案内してやっかっらさ。」
「サンキュな、刑事さん!ソイツ、しっかり取っちめてくれよ!」
「任せなさい。」
勇次と鷹山は手を軽く上げて、犯人を車に放り、自分達も乗り込んだ。
一路、自分達の所属する所轄である港署に戻った二人は、パクった犯人を「落としのナカさん」こと田中刑事に引き渡す。
「ナカさん、コレお土産。イキのいい内にささ、どーぞお納め下さい。」
「おお、いつもすまんなあ。どれ、早速・・・・」
田中がニヤリと不気味な笑みを浮かべ、蒼白になった犯人を取り調べ室に連行する。
その間、二人は自分のデスクに戻って報告書を書き上げた。
「はーい、かちょお、報告書!んじゃ、パトロール行ってきまーす。タカ、行こーぜ。」
捜査課長である近藤が報告書に目を通している間、勇次は相棒に声を掛けて出口に向かう。
「な〜んか大下さんご機嫌じゃない?」
隣の少年課から薫が顔を出してつつ、と勇次に忍び寄る。
「そお?さっき、良いコに会っちゃったからかなあ。」
「また仕事中にナンパしたんでしょ。」
「いんや。ちゃーんとお仕事したよ?そん時会ったのが赤毛の可愛いコちゃんと黒髪の美人ちゃん。」
「へ〜え。これからその二人とおデート?」
「会えればね。女だったらもっと嬉しかったんだけどなあ。」
「はあ?ちょっと、大下さん!」
薫が振り返った時には既に勇次は心なしか軽くスキップを刻みながら鷹山と共にエントランスを潜っていた。
「中華街回ろーぜ。丁度昼飯時だしよ。」
楽しそうに勇次がレパードのハンドルを廻している。
「なんかやたらと機嫌いんじゃない?あの二人か」
「そ。そろそろ昼飯時だからさ。この辺回ってりゃ会えっかな〜なんて」
「随分お気に召したようだな。」
「うーん、なんかさ、ワクワクすんの。きっと退屈しねーぜあの二人。」
「いい玩具を見付けたってワケか。」
「ま、違いないけどさ。でも可愛いぜ?弟もう二人出来た気分。」
そう言えばコイツは下に弟妹がいるんだった、と鷹山は思い直す。
勇次を筆頭に9人の兄弟。年下に対する面倒見の良さもそこから来てるんだろう。
「って言ってもさ。正直、赤毛ちゃんの方としか話してないんだけど。タカさんどうよ?黒髪ちゃんとお話したんだろ?」
「あれが会話と呼べるんならな。俺が、悪かったな、て言ったら「別に」の一言だけで、後はだんまりだぜ?今時のガキにしちゃ随分無愛想っつーか・・・」
「照れ屋さんなんじゃないの?」
「そんなタマにゃ見えなかったがな。どっちかっつーとふてぶてしい方だぞ。」
「お!噂をすれば・・・」
巡回の名目でゆっくり走らせていたレパードの前方、メインストリートの一件の店の前で、ずば抜けた長身の、目立つ赤毛と黒髪の二人が何やら話し込んでいた。
勇次は軽くクラクションを鳴らして声を掛けてみる。
「おーい、そこの赤毛と黒髪のボーヤ達〜」
何だ?と振り返った二人の目に入ったのは、シャンパンゴールドの車体の運転席からひょこ、と顔を覗かせた、一見するとヤクザに間違われそうな人相の男。
助手席には更にヤクザ以外の職業が想像も付かない、これまたサングラスの強面の男。
しかし、二人はこのヤクザっぽい二人の職業を知っていた。
「あー!さっきの刑事さん達!」
「よ、これから昼飯?」
「おう。でも何処がいいか分かんなくてさ。どっか良いトコ知ってたら教えてくれよ。」
自分に向かって屈託のない笑顔を見せる花道を、懐っこい子だな、と勇次は思った。
一見、強面とも取れる精悍な顔が、笑うといきなり歳相応の幼い顔になる。
「おし。俺が知ってる所に案内しちゃる。ついでに一緒しない?タカ、いいだろ?」
突然振られた鷹山は、一瞬目を見開いたが、予想はしていたのだろう。「いいぜ」と一言で了承した。
「やた!ルカワ、一緒にいいだろ?」
花道が振り返った相方の顔は憮然としていた。
その切れ長の目はハッキリ二人の刑事を「ジャマだ」と語っていたが、まさか声に出して言う訳にもいかない。
そんな流川の様子を察した勇次が慌てて手を振る。
「あ、いや、無理にとは言わねーから。ただ、さっきの御礼で奢っちゃおっかなー、なんて」
「奢りだって!ルカワ、いいだろ?」
花道の満面の笑みを目の当たりにして、流川もそれ以上逆らえなかった。
渋々ではあるが、こくりと頷く。
「おし。んじゃ、車停めてくるからタカ、降りて。」
「ん」
鷹山が降りると勇次は近くの路駐のスペースに車を停めに行った。
その間、鷹山が二人の相手をする。
「悪かったな。俺の相棒、強引でさ。」
「いんや全然。こっちこそ便乗しちゃって。オレもまたあんたらに会いたかったしさ。えーと、ダンディ・・・さん?」
「ダンディ鷹山。本当は鷹山敏樹っての。ちなみに相棒は大下勇次。」
「へえ、オレのダチにもゆうじっているぜ。大楠ってんだけどさ。あれ、一字違いじゃん。」
「奇遇だな。」
鷹山が軽く笑みを見せた。珍しい事だった。
この男は相棒と違って、この年頃の少年などはあまり得意としていない。
それでも、くるくるとよく動く表情で、物怖じしない花道を眺めるのは楽しいものがある。
そんな処が、相棒と似ているな、とも思った。
しかし、さっきから目の前の男前から鋭い視線を否応無く感じる。
こちらの少年も違う意味で物怖じしない様だった。
タイプは違うが素直だな、と鷹山は苦笑する。
「おっまたせ〜あら。」
車を停めて戻ってきた勇次が、一歩手前で足を止めた。
相棒を取り巻く空気が和んでいる。子供、しかも男を相手にして相棒が和むなど、珍しいどころかあるかどうか。
無理ないか、と思う。あの赤毛の少年を相手にすると、さしもの鷹山もガードが緩くなるようだ。
「んじゃ、二人共付いてらっしゃい。案内したげる。」
相棒の横に並ぶと、軽くスキップ気味の足取りで勇次が先に立って歩き出す。
その後を、二人の少年が、片や嬉しそうに、片や憮然とした面持ちで付いて歩き出す。
花道も、流川の本音は分かっている。少しでも自分との時間を邪魔されたくないのだ。
しかし、直ぐにケリが付いたとは言え、花道自身も事件に巻き込まれたのだ。
その礼を刑事がしてくれる、と言うのだからわざわざ断る事もないだろう、と思う。
二人がすぐに犯人を捕まえてくれたから、自分達はこうして外を歩けるのだ。
何しろ、犯人は拳銃を持っていたのだから。
「ルカワ」
花道が流川の肩をぽん、と軽く叩く。
「そんなカオしてんなよ。ここに居る間ずっとオレと一緒なんだからさ。」
「どあほう。」
花道が笑う。
それは、降り注ぐ柔らかな陽射しにも、道に等間隔に植えられた桜の花にも似て・・・
いつだって、流川は花道のこの笑顔に惹き付けられる。
そうだ、危うくこの笑顔を失う処だったのだ。
花道の言う通り、もし犯人が手に持った拳銃を撃っていたら・・・それを思うと、今でも流川の背筋に震えが走る。
そんな危険を排してくれたのが、今、自分達の前を歩く二人の刑事なのだ。
だったら、礼を言わねばならない。
花道を、自分の大切な人を危険から解放してくれた。その礼もまだ言ってなかったのだから。
「オレも・・礼、言わなきゃ、な。」
「ルカワ、」
「オメーに銃を突き付けたヤツを逮捕してくれた・・・」
「うん、そうだな。」
花道は笑って流川の背を軽く叩いた。
四人が入ったのは、大通りから脇に一本入った小路の、ややこじんまりとした店だった。
大通りに面した店より、こういった小路に入った店の方が美味い所が多いのだという。
時間は、昼の少し前で、まだ客の入りはそれほどではなく、四人掛けのテーブルになんとか着く事が出来た。
メニューを見て、花道は唸った。全部漢字だからだ。
脇にカタカナでルビが振ってあったが、中華料理なんて地元のラーメン屋位にしか縁の無い高校生には、メニューだけではどういう料理か判断が付かない。
「な、なんかオススメってある?メニューだけじゃ分かんねーよ。」
花道が困惑した表情で、自分の目の前に座った勇次に尋ねる。
勇次はサングラスを外し、軽く笑みを浮かべると、自分のオススメ料理を紹介してやった。
「ランチのセットもあるしな。こっちはデザートが選べるぞ。ここの杏仁豆腐は絶品だぜ。タカはマンゴープリンも好きなんだよな〜」
「そうそう。上にクリーム乗ってて、マンゴーの味もしっかりしてるしな。」
隣の鷹山も口を揃える。
「へ、っこっちの刑事さん、甘いの好きなん?なんかイメージ違うな〜」
「そうだろう。タカはこんな強面だけど甘い物に目が無くってさあ。よくソフトクリーム食いながらパトロール行ってんもんな。」
「へー意外。オレも甘いの好きだけどルカワは嫌いなんだよな。あ、じゃ、ルカワはデザート付いてねー方がいいよな?」
「そんでもいー。デザート来たらオメーにやる。」
「やった!本場の杏仁かあ。楽しみ〜」