略奪愛
「晴明さま・・・?もう行ってしまわれるのですか?」
少し掠れた、甘えるような声に仕度を整えた晴明がゆっくりと振り向き。微かに笑って声の主に近付き、その頬に手を掛ける。
まだ元服前と思しき、長く髪を垂らした少年であった。
黒い艶やかな髪が瑞々しい白い肌にしなやかに打ち掛かり、何とも艶っぽい。
黒々とした大きな瞳が縋るように晴明を見つめている。
「すまぬが、僧正様に呼ばれているのだよ。お話があるらしいのでね、参らなくてはご機嫌を損ねてしまわれる。名残惜しいが、これにて失礼するよ。」
「名残惜しゅうございます・・・また、お逢いして頂けますか・・」
「またこちらに参る用も来よう。その時にまた。」
少年の柔らかな唇に口付けて、晴明は部屋を後にした。
広沢の遍照寺。
広大な池の畔のこの大寺院に、晴明は所用で訪れていた。
此処に身を置く寛朝僧正とは顔見知りでもある。
僧正の部屋を訪れると、既に僧正本人が微笑みながら上座に座していた。
或いは、苦笑だったかも知れない。
「こちらに来た用事はこれではなかったかな?どちらの用事が本命やら、わしには分かりかねるがな。」
先程まで寺で抱える稚児の部屋に居た事を指しているのである。
僧正の膝元には経典が数巻、置かれていた。
この寺を訪れたそもそもの目的は、表向き、僧正に経典を借りていく事だったのである。
最近、晴明の頭の中ではもう一つ二つ、目的が加算されてはいたが。
「これは人聞きのお悪い。勿論、こちらに参ったのはこの秘蔵の経典をお借りする事のみですよ。調べたい事がありますのでね。私が勉強熱心なのはよく御存知のはずでしょう?」
涼しげな顔で悪びれもせずに告げる晴明を、怒ることなく僧正は、また苦笑を浮かべて見遣った。
仕方のない、とでもいうように。
「まあ今更、そなたの振る舞いをあれこれ咎めることはすまい。それこそ今更だからな。ただ、勤めの最中にも惚けたままの稚児がそなたがこちらに来ると、途端に増える。つまみ食いが些か度を越しているのではないかな?」
それには晴明は答えず、ただゆったりと笑みを浮かべ、
「私は勉強熱心なのですよ。先程申し上げました通りにね。」
その言葉で僧正は晴明の目的が解ってしまった。
「誰ぞ、その成果を試したい相手でもおるのか。」
「ええ。愛しくも、些かつれない御方の為にね。」
恭しく、僧正から経典を借り、遍照寺を後にしたのだった。
僧正に見抜かれているあたり、伊達に付き合いは長くはないな、と苦笑しながら。
式の先導する車で自邸に戻ると、客人が見えている、という。
誰かと問うたら、彼の兄弟子の賀茂保憲だという事だ。
研究の成果を試す時が早くも訪れたようである。
逸る心を抑えながら客人の待つ部屋に案内されると、賀茂保憲がぼんやりと庭を眺めながら静かに座していた。晴明の口元が僅かに吊り上る。
「これは保憲さま。今日は如何なさいました?」
その言葉に、保憲が顔を上げた。
黒目がちの大きめの瞳が美しい。
晴明ほどの艶麗さではないが、保憲も美しい青年だった。
爽やかな風貌で、人好きのする笑顔を見せる様は、花のようでもある。
いつか、晴明にはその笑顔がかけがえのないものとなり、自分だけのものにしたいと思うようになった。
望みは果たされた。保憲の躯を手に入れ、心も手にした・・と思う。
こちらの誘いにあまり乗ってくれないのが気掛かりだった。
故に、保憲の方からこちらに出向いてくれた事は、珍しくも心躍る事でもあった。
「いやなに。広沢の遍照寺に赴いたのだろう?お借りした経典をおれも見たいと思ってな。」
晴明は嘆息した。自分の誘いよりも、興味を優先させたか。
保憲も勉強熱心である。珍しい、秘蔵の経典を是非目にしたいと思って、居ても経ってもいられなくなったのだろう。
その証拠に、黒目がちの瞳がきらきらとしている。褒美を期待する童のようだな、と密かに思った。
「見せるのは構いませんよ。ただ、私も広沢まで出向いて参ったのです。それを労っては下さらないのですか。」
「あ、ああ。そうか。それは大変だったな。僧正のお相手も疲れたのではないか?」
晴明が微笑んで保憲の傍に座する。
「坊主の世間話ですから大して疲れるものではありませんよ。そうではなくて、あなたなりの労り方があるでしょう・・・?」
晴明の白く細い指が保憲の首筋をつ、と撫でる。
その感触にぞくり、としながらも保憲の頬が鮮やかに染まっていった。
「おい、おれなりの労り方とは・・・まさか。」
「最近は私の誘いにも応じて下さいませんでしたね。つれないお人だ。密かに寂しく思っていたのですよ・・・」
途端、保憲の視界が反転した。晴明に押し倒されたのだ、と漸く理解した。
「お、おい、経典は・・・」
「後でいくらでも見せて差し上げますよ。」
「あ、ああ・・・」
まだ陽が落ちきっていない黄昏時。濡れた、艶のある声が微かに部屋から漏れる。
「良い聲で啼かれる。私がおらぬ間、少しでも淋しく思ってくれましたか?」
胸に咲く紅い蕾を唇に含みながら晴明が問うた。
その感触にびくんと躯を震わせながらもつい、強がってしまう。
「だ、だれがっ・・・」
「そうでしょうね。どうやらお相手には事欠かなかったと見えますからな。」
一切の身に纏うものを剥がれた保憲の白い躯には、そこ彼処に薄らと花弁のような痕が咲き誇っていた。
自分がこの躯に触れてから随分と経っていたから、痕が残っている筈もなかった。
「私に抱かれてから、味をしめたと見える。」
かり、と晴明は一際強く蕾に歯を立てた。
「痛っ・・・!」
保憲が痛みに身を仰け反らせる。
「貴方も好きで身を委ねたのではない事くらい、分かりますよ。賀茂家の跡取りの立場も楽ではないようですね。その事で貴方を責めるつもりはありません。ただ・・・貴方は誰のものかを知らしめる必要はありますね。そう、この可愛い躯に。」
晴明が優雅に微笑む。だが、その微笑を眺め、保憲の背筋に悪寒が走った。
これは怒ってる。しかも、相当に・・・
「や、やあっっ・・・せい、めいっ・・・」
「嫌、ではないでしょう。気持ちいいくせに。」
晴明が無情に囁き、更に突き上げる。
「ああっっ!」
保憲の背がしなやかに反る。
背後には晴明の胸。保憲は、晴明に背後から抱きかかえられた形で晴明を受け入れていた。
こんな体位は初めてで、保憲には戸惑いが大きい。
目を開くと、膨張し、突き上げられる度に揺れて蜜を噴き零す自分のものまで目に入ってしまう。
それがあまりにも淫らで、見たくなくてきつく目を閉じていると、晴明が優しく目を開けろと言う。
「いや、だ・・・」
ふるふると、力なく首を横に振ると、晴明が吐息を漏らした。
「仕方ありませんね。では、目は閉じていても構いません。その代わり・・・」
晴明の手が、空いていた保憲の手を取る。
「な、なにを・・・」
「もっと悦くして差し上げるだけですよ。」
言い様、その手を保憲の股間に導いた。
「やだっ、何をっ・・・」
「私の手は塞がってしまいますのでね。自分で悦くして下さい。」
そのまま、保憲のものを握らせ、その手ごと、扱きはじめる。
「や、やあっ!こ、んな・・・!」
「じきに気にならなくなりますよ。」
そのまま晴明は保憲の細い腰に手を添え、激しい突き上げを再開する。
保憲は、いつか、晴明の手が離れても、自らのものを扱く手の動きを止める事はなかった。
晴明の突き上げに合わせ、自らの腰を揺らし、その手は中心で快楽を追い続ける。
「せいめい・・・せ、あ、ああっっ・・・」
「保憲さ、ま・・・」
濡れた、何処か切羽詰った聲と荒い息使いが部屋に充満する。
「保憲さま・・・」
晴明が保憲の耳に唇を寄せ、睦言のように甘く囁きかける。
「貴方から聞きたい言葉があるのです・・・」
「な、何を・・・」
快楽に朦朧とした意識で、弱々しく応える。
「私を、愛しいとお思いですか・・・」
途端に保憲の意識が覚醒した。
「私を愛しいとお思いなら・・・声に出して言ってはくれませんか。貴方のその声で・・・聴きたい。」
声に出して。その意味は二人共に熟知している。
「出来ぬ・・・」
「恐れているのですか・・呪が掛かる事を」
声に出せば。呪が掛かってしまう。
安倍晴明という一人の男に囚われてしまう。
心で願ってはいても。
ぽつりと、保憲が小さく呟く。
躯が微かに震えていた。
「おれは・・・賀茂家のものだ。おまえのものにはなれぬ。・・・永劫、それは変わらぬ。」
「そうですか・・・」
晴明の表情がすうっと消えていく。
分かってはいた。それでもこうして足掻く自分は何とも滑稽だな。
ならば。躯だけでも。
それからは、ただ、獣のように貪るのみだった。
ふと、晴明は目を覚ました。
濡れ縁の柱に凭れて眠っていたようだった。
「夢か。」
まだ博雅と出会うまでのこと。
あの時はそれなりに幸せだったのだろう。
保憲も、博雅も、確かに自分が愛した。
今、この時と比べたらどれ程に幸せだっただろう。
二人とも、今は既に亡い。
それからの自分の生き様は屍も同様だった。
それももうすぐ終る。
彼のひとの元へ確実に行く為に今まで永らえてきた。
そして、彼にもし逢えたら今度こそ応えてくれるだろうか。
私を愛しいとお思いでしたか・・・、と。
了
胸騒ぎと共に眠りについた夜更け
とても悲しい夢を見ていたのを覚えてる
その朝予感が沈黙を破るように
鳴り出した電話で現実のものとなった
心に消えない傷跡を残したまま あなたはひとり星になった
さよならね もう二度とは会えない場所へ行ったのね
永遠の別れの冷たさを受け止められずに
聴かせてほしかったのそれがまだないから
私はあなたに確かに愛されてたって
たった一度でいいから
終わりなき筈の悲しみは幕を閉じて
季節が変わって寒さがやけに身に染みるけど
あれは忘れもしない夏の始まりの日で
私の代わりに今年は空が泣き続けた
だってあまりにも夢の続きのようで
泣くことさえも出来ないまま
さよならね 最後の言葉さえ届かない
別れの冷たさを嫌ってほど思い知らされる
聴かせてほしかったのそれがまだないから
少しはあの日を悔やんだりして泣いたって
たった一度でいいから
どうしてそうやって最後の最後まで ねえ
思い出だけを置いてくの
さよならね もう二度とは逢えない場所へ行ったのね
永遠の別れの冷たさを受け止められずに
聴かせてほしかったのそれがまだないから
私はあなたに確かに愛されてたって
たった一度でいいから
これはただの夢の続きの物語で
私はまだ目が醒めてないだけと云って