博雅姫と陰陽師共


「せーめーっっ!おるか、晴明!!」
常ならぬ大声と共に邸の内をどたどたと駆け回る騒々しい音。

庭の見える簀子でのんびり寛ぐ晴明にはその騒音の元が誰だか判っていた。

「此処だ。博雅。」
その声を聞き付けたのか、その騒音が晴明の元に近づいてきた。

晴明の姿を認めるなり、騒音、もとい博雅が彼の傍に駆け寄り、必死の形相で言い放つ。
「晴明、助けてくれ!」
ちらりと博雅を見やった晴明の口元がにやり、という形に歪んだ。
「ほほう…また取りつかれたか。」
晴明が見たものは、彼の親友の源博雅・・・である筈だった。

博雅の本質は何ら変わっていない。

正確には、まず外見が変わっていた。
博雅が好んで着る二藍の直衣がやたらと大きく見える。

それを纏う人間の体格が変化した為だった。
それを纏った博雅の体格は一回り程華奢になり、その容貌はいつもの武官らしい、凛々しくも何処か愛敬のある、男らしい風貌ではない。
一回り程小振りになった顔に、潤んだ様な黒い大きな瞳。
やや開きかけた唇はふっくらとして仄かに色付いていた。

全ての要素が愛らしく、かつ何処か頼りなげで、男の保護欲を嫌でもそそりそうな…
「また女に変じたか。」

「う…そうなのだ。今朝、目が醒めたら既にこんな姿に…また青音殿か?」
「だろうな。また暇になったと見える。」
晴明がやや呆れた様に溜息を漏らす。
博雅は以前にも身体が女に変じた事がある。

博雅が絶命した折に、青音は自らの命を博雅に与えた。
それの所為か、昇天した筈の青音の魂が博雅の身体に憑いた途端、身体が変化を起こして女に変じてしまった。
今回も、どうやら彼女の暇つぶしに振り回されるらしい。
「博雅、こちらに来いよ。」
晴明が薄く微笑む。晴明には他人の思惑などどうでも良かった。

自分は本懐を遂げるまでだ。

博雅が晴明の傍に寄ると、不意に晴明が腕を伸ばして博雅を抱き締め、その耳元に囁いた。
「博雅…今度こそ、おれの子を産んでくれような…」
その言葉に博雅は耳まで真っ赤に染まり、俯いてぼそぼそと呟いた。
「おまえが望むなら…」
そのまま、ぽて、と晴明の胸に顔を埋めてしまう。

そんな博雅が堪らなく可愛く思えて、その額に口付け、ひょいとその身体を横抱きに抱え上げた。
「博雅…閨に参ろうか。」
博雅はひたすら赤くなりながらも、微かにこくん。と頷いた。

晴明が博雅を抱き上げて寝所に運び、褥の上にその躯を下ろして博雅に伸しかかる。
「博雅…」
晴明が低く囁き、博雅の唇に口を寄せようとした瞬間…
途端に博雅の顔が赤くなり、僅かに硬直する。
瞬間。
「すまん!晴明!」
博雅の絶叫と共に、晴明の体が勢い良く突き飛ばされ、部屋の柱に思い切り後頭部を強打した。
「ひ、博雅…?」
晴明は頭を抱えて蹲り、涙目になりながら博雅に問い掛ける。
「す、すまん晴明!大丈夫か?」
「あんまり…」
「すまん。いきなり突き飛ばしたりして…だ、だが、駄目なのだ…」

「一体何が駄目なのだ?…嫌なのか?」
晴明が傷ついた様な目をして博雅を見やる。
「ち、違うのだ!おまえとするのが嫌な訳ではない!ただ、その…」
博雅は顔をいよいよ紅くさせて暫く言い淀んでいたが、遂に言い放った。
「その、つまり、し、失禁してしまった様なのだ!」
言った途端、博雅はこれ以上無い位に顔を真っ赤にさせて直衣の袖で顔を隠してしまう。
晴明は暫し呆気に取られたが、彼の鼻腔をある匂いが刺激した。
鉄臭を帯びた様な、生々しい様な…
晴明の唇の端が吊り上がる。

「博雅、何も案ずる事はない。それはな、女には当たり前のことなのだ。恐らく、今のおまえには月の障りが来ておるのだろうよ。」
「つ、月の障り?!だが、あれは女子が・・」
「だから、おまえは今は女子ではないか。」
「あ、そういえばそうであったか・・・」
やっと今の自分の姿を思い出したようだ。
女子とは不思議なものだなあ。などと困惑しながらもうんうんとしきりに頷いている。
妙な処で感心しているらしい。
「博雅、そのままでは気分が良くあるまい。衣を換えた方がいいだろう。」

言いながらも晴明の手が博雅の直衣の襟元に掛かる。
「おい、何をしておる?」
「衣を換えた方がよかろう?」
「なぜおまえが脱がすのだ。」
「手伝ってやるだけだ。」
「いい、やめぬか。」

「今更、恥ずかしがることもあるまい?何もせぬよ。衣を換えるのを手伝うだけだ。」
「では何故襟元に手を差し込むのだ!こら、撫でるな!」
晴明の不埒な手が博雅の寛げた襟元から中に入り込み、首筋や鎖骨をさわさわと撫でている。
博雅は身の危険を感じ、冗談ではない、と身を捩る。
と、
「晴明様、なりません!」
怒声と共に、すぱーんっっ!と小気味良い音が響き、晴明の頭に衝撃が走る。
「・・・おのれ蜜虫・・」
晴明が目に涙を浮かべ、頭を抱えながらも背後を振り返って不遜な加害者を睨み付ける。
「それが仮にも主に対する態度か・・」
背後には不遜な加害者、もとい、彼の式神である蜜虫が佇んでおり、その手にはハリセンが握られていた。それがひしゃげている処を見ると、相当力を込めたのだろう。
だが蜜虫はしれっとした顔で慇懃に応える。
「博雅様は晴明様の大切な御方でございます。その博雅様が万一、病にでも罹っては一大事と思い、晴明様をお止めしたまででございます。お叱りなら後で承ります。」
「病だと?それはどういう事だ。」
「やはりそこまではご存知ではありませんでしたか・・」
やれやれ、というように蜜虫は嘆息した。
「女子に取ってはこの時期は大変病に罹りやすいのです。もし晴明さまが博雅さまに無体な事をなさいましたら重い病に罹るとも知れぬのです。いわば、お身体がかなり弱っておいでなのです。お解りになって頂けましたか?」
蜜虫が促す様に晴明を見据えた。晴明は、うっと詰りながらも、
「分かった・・この時は博雅に触れねばよいのだな・・それは何時までだ。」

「月の障りの時は女子は七日の間、精進潔斎しなければなりません。」
「七日・・・そんな・・・」
晴明が情けない顔をする。
「七日など・・・そんな・・・博雅が同じ邸に居ながら・・・」
しかも姫姿で。
上手くすれば孕ませる事も出来そうな姿で。
据え膳が・・・遠退いた。

「たかだか七日です。ご辛抱下さいませ。」
にっこりと蜜虫が微笑む。
それでも晴明の気分は一向に晴れなかったが。

一方の博雅も気が塞がっている。無理もなかった。
まさか月の障りまで自分が体験するとは思ってもみなかった。
絶えず襲い来る下腹部の鈍い痛みと不意の出血。
体全体が重苦しく、出血の所為で些か貧血気味でもあるようだった。
(女性とは大変なものなのだなあ・・・月に一度はこのような辛き目に遭わねばならぬとは・・・)
気が滅入って仕方ない。
気晴らしをしようにも今の女の姿では笛を吹く事も儘ならない。

笛は男の楽器と言われる。
女の身では肺活量や指の長さが違うのだ。
そんな博雅を慰めようとしてか、時折蜜虫が和琴や筝の琴、琵琶などを携えてやって来る。
珍しい月琴の類もあった。
試しに爪弾いてみても興が乗らない。
意識が集中出来ないのだ。
鈍痛に顔を顰め、出血に頬を染める。
何より、晴明と逢えない。
その事実が更に気分を曇らせる。

いつもなら、晴明と濡れ縁で酒を酌み交わし、気が乗れば笛を奏で、共に語らい、時に触れ合う。
そうするだけで気分が優れない時でも何時かその事を忘れてしまうのに。

「晴明・・・」

密やかな吐息の様な呟きは何処かしっとりと色を含んで。
物憂げに伏せられた長い睫が縁取る、大きな瞳は濡れた様で、その姿は月を眺めて嘆くなよ竹のかぐや姫もかくやというような、
いや、それよりも更に儚げで、頼りなげな・・・どこか艶やかでもある。
晴明がそれを知ったらさぞ地団駄を踏んで悔しがったろう。
「もう少しの辛抱でございます。これが過ぎたら晴明様が存分に愛しんで下さいますよ。」
「蜜虫・・・!」
真っ赤な顔で窘める。
そう、たった七日の辛抱だ。これが過ぎたら・・・
博雅の顔の火照りは当分収まりそうになかった。

数日が過ぎ、晴明の気分は相当鬱陶しいものになっていた。
部屋に篭り、陰隠滅滅としている。
同じ邸内に博雅が居るのに触れるはおろか、逢う事すら儘ならない事実は心身共にかなりツライ。
そんな晴明の前に、式が客人の来訪を告げる。
現れたのは彼の兄弟子である賀茂保憲。
飛んで火に入る夏の虫。
と思ったかどうかは知らないが、晴明の目がきらんと光る。
そのぎらつく目に保憲は一瞬怯んだが、取り敢えず平静を装って尋ねた。
「おまえ一人なのか?珍しいな。博雅様が一緒ではないのか。また姫の姿になったと聞いたが。」
「ええ。博雅はこの邸に居ますよ。愛らしくも美しい姫の姿でね。但し、逢う事は儘なりませぬ。今は月の障りを迎えていますから。」
「つ・・・月の・・・?それはそれは・・・」
保憲の表情が何ともいえぬものになる。
これが他の女であれば、いつもの飄々とした表情に口の端を上げる位はしたかも知れない。
しかし、今回は相手が博雅だった。
顔見知りの弟弟子の親友が女に変じ、そればかりか、女の証である月の障りが来るなどと。
実は博雅を密かに想う保憲にとっては嬉しいような、困ったような、或いは恥ずかしいような、何とも言えぬ心持になる。
一人、顔を紅くして自分の考えに浸っていた保憲は、その時、気付くのが遅れた。
晴明の目が、きらりと光ったのを見過ごしたのだ。
気付いた時には、既に晴明に組み敷かれていた。
「せ、せせ晴明っっ!!何する気だっっ!!」
「もう限界なのです、色んな意味で。こんな時にのこのこやって来た貴方が不運というもの。」
優雅に微笑みながら、しかし、目だけがぎらついている。
いっそ優しいほどの手付きで保憲の衣を乱していく。
「や、やだやだやだっっおまえっ、博雅様が同じ邸にいるんだぞ!!それでも何も感じないのかっっ!!」
「だから、限界なのですよ。愛しい人を前にしてその身に触れられぬこの想い、日々募るばかりのこの行き場のない想いと欲を解放したい、と、貴方なら解って頂けるでしょう?」
「解らん!!ぜーっったい!解りたくもない!!!」
泣き叫ぶ保憲を押え付け、その下肢に手を掛け、指貫を引き剥がす。
下帯にも手を掛け、それも無理矢理引き剥がすと、白く滑らかな下肢が露わになった。
晴明がにたりと笑い、その尻に唇を近付けた時、ー

「晴明・・・?」

何処か呆然としたような、微かな声が耳に届く。
艶やかな五衣を重ねた姫姿の博雅が、目を見開き、心持、顔を青褪めさせて部屋の入り口に佇んでいた。
「ひ、ひろまさ・・・あの、これは、ち、違うのだ・・・つい、おまえが恋しくて、おまえに見えてしまったのだ・・・おれが欲しいのはおまえだけなのだ・・・」(白々しい)
「ばかっっ!!」
手に持っていた檜扇を晴明に投げつけ、泣きながら博雅が部屋を出ていった。

晴明の居室とは離れた、月の障りの間篭っていた部屋で博雅は泣きじゃくっていた。
「晴明のばかばかばか・・・」
「博雅さま・・・」
傍で蜜虫が困り果てている。
どう慰めたものかと思案しているようだった。
「博雅様・・・晴明様は博雅様と離れてお淋しくて・・・つい、保憲様が博雅様に見えてしまったのかも知れません。晴明様がお好きなのは博雅様なのですから。」
「しかし、おれが元の姿であるならともかく、今はこんな姫の姿なのだぞ。見間違えるなどある筈がない!結局、奴は誰でもいいのだ・・・!」
また涙が溢れ、更に蜜虫は困り果てる。
「博雅様・・・」
その時、蜜虫のものとは異なる声が耳に届く。
振り返ると、保憲がすぐ傍まで来ていた。
先程晴明に組み敷かれていた姿を思い出し、つい、目を背けてしまう。
だが、保憲はゆっくり博雅に近寄り、優しくその手を取った。
「お可哀相に・・・こんなに嘆かれて・・・」
保憲の指が優しく博雅の涙を拭う。
「博雅様、先程は驚かせてしまった様ですね。ですが、あれは、私が望んだ事ではないのですよ。」
「え・・・?」
「晴明は時々、あなたがおらぬ間の溜まった鬱憤を私で晴らそうとする。私の意志などお構いなしに、いつも嫌がる私を無理矢理・・・」
そこで保憲は言葉を詰まらせ、哀しげな表情をしてみせる。
博雅は、その表情を気の毒に思い、
「保憲殿・・・あなたもお辛かったのですね・・・」
心底不憫に思っているような博雅の手を取り、優しく囁く。
「博雅様、貴方様はまことお優しいお方ですね・・・その優しいお心でこの哀れな男の心を慰めてやっては下さいませぬか・・・」
保憲が少し憂いの籠った、しかし熱を秘めた眼差しで博雅を見詰めると、博雅の頬が何故か熱くなる。
「保憲どの・・・」
博雅の声がしっとりとした響きを帯びた、その時。
「何をされておいでですかな、保憲様。」
周りの空気が凍て付くような、冷たすぎる低声が耳に届く。
「・・・このピンヒールの感触は・・・おのれ晴明・・・」
何故か保憲のくぐもった声が下方から聞こえる。
今まで目前にあった保憲の姿は視界から消え、かわりに晴明の白い、美しい顔が目前に立ちはだかっていた。
ふと目線を下に向ければ晴明の足元に保憲の姿がある。
晴明の片足には高くて細いピンヒールを備えたパンプスが嵌っており、その下に保憲の頭があった。
顔面を床に対面させられて。
「私の何より大切で愛しい、妻となるべきひとを口説こうとなさるからですよ、保憲さま。」
更にピンヒールをぐりぐりさせてから博雅に近寄り、跪いてその手を取る
「博雅、大事ないか。何かされなかったか。」
「な・・・保憲殿がおれに何かする筈はなかろう。それより・・・おまえだ、晴明!」
「おれが何だというのだ。」
「惚けるな。おれの居ぬ間に・・・保憲殿を・・・」
そこまで言って博雅の声が詰まる。
見ると、その大きな瞳からは今にも涙が零れ落ちる程に溜まり、唇は頑なまでにきゅっと結ばれていた。
「博雅・・・」
晴明がそっ、と優しく博雅を抱き締める。
「せ、いめいは・・・っ、おれでなくとも誰でもよいのではないかっ・・・おれでも保憲殿でもどちらでもよかったのだろうっ・・・!」
堪え切れず、しゃくり上げながら博雅が詰る。
そんな博雅をいよいよきつく抱き締め、晴明がその耳元に甘く囁く。
「何を言うのだ・・・おれが心の底より愛しいと、気が触れそうに焦がれておるのはおまえだけだと承知しておろう?」
「でもっ、現に保憲殿を・・・」
「ああ博雅、あれはおまえに逢えぬ間、あまりに焦がれておまえかと思ってしまったのだ。おまえの姿と重なり、そうすると堪らなくなったのだ。おれがどんなにおまえに餓えていたか・・・」
言うなり、博雅の体がふわりと浮き上がる。
見ると、晴明がその腕に博雅を横抱きにして立ち上がっていた。
略装とはいえ、袿を何枚も重ねているのである。
しかし、少しも重さを感じさせない表情でふわりと微笑む。
「おれがどれだけおまえに焦がれていたか・・・その身にじっくりと教えてやろう。」
「な、・・・!!」
途端に博雅の顔全体が紅に染まる。
「ばか!降ろせ!離せ!!」
「こら、落とすぞ。大人しくしておれ。」
「出来るか!おまえはいつもそうやって誤魔化そうとする!おまえはずるい・・・!」
不意に晴明の顔が近付いたかと思った瞬間、唇が塞がれていた。
晴明のそれによって。
そのまま晴明の舌が驚きに薄く開かれた博雅の口腔にするりと入りこみ、
内で縮こまっていたその柔らかな舌を絡め取り、貪った。
「ん・・・」
甘い吐息が博雅の唇から漏れる。
晴明の絶妙な舌戯に博雅もいつか夢中になり、同様に激しく舌を絡め合わせる。
既に博雅は晴明の首に腕を廻して濃厚な接吻に酔いしれていた。
ぴちゃ・・・と濡れた音がその口の端から漏れる。
同時に二人分の甘い蜜がつ・・と顎を伝い、それを追い掛けるように
晴明の舌が口の端や顎をねっとりと舐める。
「あ・・・」
博雅の首が仰け反る。
口付けに酔わされた博雅の瞳は熱く潤み、目元はほんのり花のように染まっていた。
「博雅・・・」
「や・・・」
そのまま博雅を床に降ろしてゆっくり押し倒し、その柔らかな胸元に手を掛けた・・・

    あれ?

柔らか・・・くない?
がばっと晴明が起き上がり、博雅の単の前を勢いよく肌蹴た。
「なんだっ、晴明っっ!!」
博雅が顔を真っ赤にして抗議するが既に晴明の耳には入っていない。
肌蹴た胸は・・・平らだった。
「またこのオチかーーっっ!!」(すいません)

えぐえぐ泣きじゃくりながら半ば自暴自棄となって殆ど腹いせのように
男に戻った博雅に散々無体を働く晴明の姿があった・・・


                               結

/戻







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