足どりは音をまぐわせ
呑まれる闇夜に、一人徘徊する


夢に遊び、現に怯える
現に在る人は恋しいけれど
繋ぎ交わす互いの花も
季節に散りゆくように
この想いも憂いのままわからないから


想うあまりに見る果てなき夢
終わらない止まれぬ徘徊


浮遊感に酔う
名を呼んで欲しい
このまま夢に落ちないように、つかまえて




***




宵深い朱雀門に影があった

門の前に朧な影が
首を傾け凭れ罹る姿


人がひとり


夜気の風が纏う直衣をさわさわと撫で、流れ
そっと…、囁きかけるもその眠りは
深みの奥、揺りおこされず


手には二葉の刻まれた鬼の笛
暗さのなかに混ざり溶けていた音は
夜風にその余韻だけを残して




風が吹く




焦がれるものが見えぬ手で溢れ


もっともっと、とねだる諸人は
魔手を騒めかせ、群がる


触れられず、宙を掻き
悔しげに青白い指を曲げ、わななき
けれど諸人は止めず


その絵は、人には視えなかった




美に群がる、手が舞う朱雀門の影








キィ――――…、

静けさにそぐわぬ音がした


門よりほどほどに離れた所で
一台の牛車が止まっている


牛は怯えた様子で、そこから先へは
もう進もうとはしなかった


御簾を扇でするすると上げ
車から黒い影が現れる


黒衣は夜との境がつかぬほどに溶け
魔性さえ思わせる


彼は、従者達に言いつけそこで待たせると
一人、門前へと歩んでゆく


燈る貌は楽しげで口許には笑みさえも


背後から、従者と共に待たされた黒い仔猫が
不満気に、にゃあ―――…と鳴いた。




高い声が響き、消える頃
重ねて哭き声が連なり広がる


彼が、近づくにつれて
ヒイィ…ヒイィ…、と恐ろしげに


その声が聴ける者は此処には彼しかおらず
未練がましく哭きながら諸人達は姿を消した


魔手が散り、影はひとつになる
群がるものが去った姿はまさに清涼であった


黒衣の袖をばさりと羽ためかせ
寝息を零す姿の前に屈みこむ
伏せられた瞼を覗く
そして、その貌に唇をゆっくりと近づけ


囁き、呼んだ


「源博雅様…」


甘さを含む深い声は宵に溶け
瞼に息が触れる
夜気とは違う人肌の温い風に夢が開かれる


瞼を…ゆっくりと




まどろみのなかを長く徘徊したばかりで
現を覚めていない瞳が、歩き疲れた足の様に
鈍く、彼を映す




―――――…

夢から私をつかまえた
お前はだあれ…、と、黒目が語る


「源博雅様」


もう一度、重ねて名を呼ぶ
黒目へ向かいたたみかける音で


「賀茂保憲どの…」


引き出されるように声が漏れた




彼が笑う


こわい笑みで


優しい声で、姿で、心で、




映す瞳は、今だ夢開けのけだるさを残し
冴えず、暗がりの影を覚えず


「葉双の音がどこからか、夜風に流れて
聴こえて参りましたので、いずこであろうと
思うまま音を追ってしまいました」


「そうでしたか、ここは音が良く響くので
時間も忘れ吹いておりましたが、どうやら
無心になりすぎたようです」


「いつのまにか音が沈むように止んでしまわれたので、お姿を探したところ博雅様が…」


「はい、眠ってしまったようです」


子供のような素直な微笑みを浮かべ
葉双を一度撫でると懐へしまう


指先が白い


宵の冷ややかさが移った白さ
映る掌を触れた
両の掌を柔らかく包むように


「まるで夜の長さをそのまま恋謌にしたためたような…その調べが、とても好ましく
心には刺さるほどに哀しい」


博雅の黒目を見つめながら連ね
言い終えると、息をしばし止め、そして

その掌に接吻けた

なまぬるく、ぬめるような感触が伝わる
肌から伝わるそれは夜の冷えに反するもの


現かもわからない温さを止めるのは
彼からの声


「失礼」


包んでいた掌を、あっさりと離す
肌にはもう何も残らない


「保憲殿…」


博雅の不思議そうなさまに
保憲は告げる


「貴方の笛への私からの賛辞です」


黒衣の袖から保憲の手が差し出される
青年らしい骨ばった手だった
促されるままに、博雅はその手をとり、立つ
並び立つ背は彼の弟弟子よりも幾らか長身に見えた
称える微笑は似ているようにも映るが、違う
心根を見せることなく眼の奥にしまう弟弟子とは異なり、彼は、唯映す
その眼に

例えようもなく強く、美しい
魔性の月の眼をしている


心惹かれる、暗さを持っていた




「貴方を見ていると、この笛を交わした鬼の少年を思い出してしまいます」


憑かれたように博雅は言った
声は虚ろで夜気に霧散する


「それはきっと…」


纏う、暗さが


「眠られよ」


指先が視界を遮断するとともに
黒衣がそれを受けとめた
眠りに言葉が掛けられる


「徒歩でこちらまで参られたとお見受けします、どうか私の車で送らせて下さい」


答が返る筈も無く




背後にした朱雀門の前を
黒い猫が、逃げた。




***



***




牛車が進む、密やかに、静けさを裂いて
車輪の回る揺れと、自らの膝に頭を抱いた
高貴な青年の息を感じながら
頬を甲で触れる、特に感慨も無く


天に愛され言祝ぎと共に生まれた御子
鬼に愛され、魔笛を交わした楽士


夕月夜のごとく陽と月を持つとゆうのに
こんなにも呆気なく手に落ちる
いささか心が萎えた。




もっと特別であればいいと思う
もっと、人でなければ
落ちてしまえるのに


「これでは、足りぬ」


私ではないと思えるなら
羨むほどに遠ければ
貴方になりたかったと思えるほどなら




「それでも、私では決してないのだろう」


宙に浮く言葉は唇に落ちてゆく
この唇が重なればいいと願う
私から移るものが…、








緑の燐光が滑る


輝きは三日月の猫の眼
吠える声が道ゆきの先から響く


毛並みの艶めかしさが栄える
黒い虎が歩み寄る
尾は二又、獣は太い足と爪を地に滑らせ
牛車の手前まで駆けてきた


牛が、激しく怯え暴れる
慌てる従者達を収め、白い手が牛を撫でた
静けさが、戻る


背に乗せていた白い狩衣の青年を一瞥すると獣は主を呼び鳴いた


「おいで」


御簾へ向かい獣が跳んだ
音を立て、ばさばさと舞う御簾の間から
彼の貌が一瞬垣間見えた
そして、もう一人の姿も


一時の間を長く感じる頃
するすると御簾が上げられた
黒い仔猫を肩に乗せ、微笑う、その人
上座には憂いた背子が眠っている


「…兄様」


苦い声が呟く
そう呼べばこの“兄”は戻ることを
晴明は覚えていた


かつて、そう呼んだ過去の二人の時に、その関係に
“兄”は聞いてくれる


私の声を


引きずっているのは今も知っているから
無意識の言葉は、常ならば出ない
けれど、これは計りだった


「兄様」




続け呼ばれた懐かしい呼び名に
保憲は過去を視た


同じ視覚と、同じ孤独とを分けた時を
在りし日の少年の姿を


「晴明」


「はい…」


「今日は帰してあげる」




そこに在るのは、こわい笑み








軽くなった牛車が自邸へと進むなか
保憲は猫又を抱いて、ごろりと横になっていた。
ぼそりと呟く。


「落ちてしまえば楽なのに」




落ちろ、落ちろ、


落ちてしまえ




夢に










『夢遊徘徊』