博雅姫の三日の夜
ある朝、目覚めて博雅は体の違和感に気付いた。
違和感と言うにはもはや慣れた感覚になってきているのが怖い。
「また青音どのか・・・」
諦めたようにひっそりと溜息を吐く。
胸元がきつく、苦しい。
寝ている間に僅かに肌蹴た夜着の袷から豊かな膨らみがちらりと覗く。
下半身は、あるべきものが無くなった様な心許なさ。
「今回は私は憑いておりませぬ。」
そう声が聴こえたかと思うと、博雅の目の前に黒い沙の布を被った古風な出で立ちの美しい女、青音が姿を現した。
「青音どの、憑いておらぬとは・・・では何故私の体がまた変じているのです?」
「それは博雅様の御体が馴染んできているのです。もはや私が博雅様に憑かずとも博雅様の御意志次第で何時でも女性に変わる事が出来ます。その気になれば晴明様との御子を孕む事も可能です。」
そう言ってにこやかに微笑む青音に博雅は真っ赤になった。
「青音どの!!」
「では、博雅様、どうかお気張りなされませ。」
そう言い残し、青音の姿が光に包まれ昇っていく。
「との、お目覚めでございますか。」
几帳の蔭から女房の声がした。
博雅は慌てたが、応えが無いのを訝った女房が博雅の前に進み出た。
「まあ、との、そのお姿・・・!」
「い、いや、これはその・・・たのむ!俊宏には黙っていてくれ!」
「と、申されましても・・・」
「この俊宏に何を黙っていろと申されるのですか?」
背後の声に一瞬博雅は凍りついた。
恐る恐る振り返ると、そこには忠実な家人の姿。
「と、俊宏、何時の間に・・・」
慌てて俊宏に向き直った博雅の夜着の帯がするりと解けた。
腰の太さが変わった為に帯が緩んだのである。
思わず俊宏は目を逸らした。
博雅のしどけないと言うより刺激的な姿を直視しかねなかったからだ。
「これ、早うとのの着替えを。」
「はい!」
ぱたぱたと女房が駆け回り、いつの間にか博雅の周りには幾人もの女房が侍り、女物の袿を次々着せ掛ける。
博雅には一辺の自由も許されなかった。
「まあ・・・」
女房達が感嘆の声を上げる。
そこには、何とも愛らしくも見目麗しい姫君が出来上がっていた。
紅梅の匂いの襲が、愛らしく品のある顔立ちに映えて、艶やかでもある。
その時、部屋の外から俊宏が声を掛けてきた。
「との、御支度が整いましたか。実は、お客人をご案内して参ったのですが。」
「・・・客?こんな朝からか?だが、今は・・・」
「大丈夫です。その御方はとの有様は全て御承知の事です。」
それを聞いて博雅の眉が寄った。
自分の今の姿は家人の他には親友の晴明しか知らない。
まさか晴明が来たのか?
「との、先に申し上げておきますが今回はあの土御門の怪しげな陰陽師ではありませぬ。」
「なに?では一体どなたが・・・」
博雅は慌てた。
自分のこんな姿は出来れば晴明以外に知られたくなはなかったからだ。
「俊宏様、こちらにお通しして宜しいのですか?」
客人を案内してきたらしい女房がする。
「構わぬ。早く座を整えなさい。」
またぱたぱたと女房が動き回り、博雅の正面に座が設けられた。
「こちらでございます。」
部屋の外から女房の声がして、客人が姿を現す。
客人の姿を目にして博雅は固まった。
「これは・・・何とも・・・」
やはり博雅の姿を目にして驚きを隠せないらしい客人の姿は博雅がよく知っている人のものだった。
「式部卿宮さま・・・」
「久しいの、博雅。」
客人、式部卿宮は扇を口元に当て、博雅に微笑んだ。
式部卿宮、敦実親王。
博雅の祖父、醍醐帝の同母の弟であり、博雅が幼い頃、後見を勤めてもいた。
博雅の和琴と郢曲の師でもある。
現在も、度々楽を指南してもらい、頭の上がらない人物の一人でもある。
「実は、前々からこちらの家人に話しを聞いていたのだ。まるで絵空事のような出来事だが、こうしてそなたを目にするまでは信じられなかった。やはり事実であったとは・・・いやいや、これ程の事が起きようとは。」
そう言いながらも宮の表情は何処か楽しそうでもある。
「宮・・・私も途方に暮れております。このような有様では参内も儘なりませぬ。」
博雅の瞳が僅かに伏せられた。
長い睫が影を作り、儚げな様を醸し出す。
その様はどこか朝露に濡れた可憐な花を思わせる。
式部卿宮はその様を満足げに眺め、
「さもあろう。さぞ心細い事だろうね。そこで博雅、いっそ宮中を辞してそなたが婿取りをしてみてはどうかね?」
一瞬、博雅は言葉の意味を掴み損ねた。
数瞬後、
「む、婿・・・?こ、この私が・・ですか?」
「何も不思議があるまい?そなたは今姫の姿なのだし、そなたの血筋も残さねばなるまい。以前からその事でそなたの家人に相談を持ち掛けられていたのだ。」
「し、しかし宮・・・婿と言っても一体どなたを・・・」
「それも案ずる事はない。もうこちらに連れて来てある。」
「え?」
「こちらでございます。」
またも部屋の外から女房の声がして、客人が部屋に入ってきた。
「雅信・・・」
その客人は更に博雅が見知っている人物、式部卿宮の息子の源雅信だった。
博雅にとっては共に式部卿宮に楽を学び、宮中に於いてよき理解者であり、相談相手でもあり、晴明以外にも親友と呼べる近しい血縁だった。
「宮・・・私の婿取りの相手とは・・雅信どのですか?」
「そうだ。雅信ならそなたとも親しいし血縁でもある。他の名家の子弟などを婿にするよりそなたには気安かろう。」
「ですが・・・雅信どのは一体・・・」
「私なら異存はないよ、博雅。」
雅信が博雅ににっこり笑いかける。
「おぬしの家人が父上に話を持ち掛けた時から私もこの事を聞かされていたのだ。確かにその姿を見た時は驚いたが・・おぬしであれば否やのあろう筈もない。」
「しかし・・・私は・・・」
博雅が困惑した表情で宮を見遣る。
博雅は一つ決めていた事があった。
もしこのまま姫の姿のままになったとしたら、晴明以外の男を通わすつもりは毛頭無かった。
「だが博雅、これはもう決まった事だ。これより三日の間、雅信はこちらに通う事となる。それは雅信も承知の事だ。よいな?そのつもりでいるように。」
「なっ・・・!!宮・・・っ!!」
「突然の事でさぞ驚いた事だろうが、これもそなたの為ぞ。雅信であれば我が息子ながら姿も人柄も申し分ない。何よりそなたとは知らぬ仲ではない。」
「確かに雅信どのであれば申し分のない御方であります。それでも、私はこのお話をお受けする事は出来ません。私には想う方がいるのです・・・」
その言葉に宮の片方の眉がぴくりと上がる。
「だが、そなたの姿は既に女子だ。想う姫があったとしても叶わぬものであろう。」
「・・・いえ、想う方とは姫ではなく・・・」
途端、博雅が口籠り、その顔がみるみる朱に染まる。
「ほう・・・?姫ではないとすれば男か・・既に何処ぞの公達に心奪われたか・・・」
博雅の頬が更に染まり、遂には俯いてしまった。
「して、それは何処の公達か。どちらがそなたの婿に相応しいか、決めねばなるまい。」
「それは・・・」
博雅が口籠る。
「どうした、言えぬのか。さては地下の者か。」
宮の声に微かに棘が混じるような響きが籠る。
「その方と私とは常に親しくしております。確かに地下ではありますが、私には大切な友であり、それ以上の者でもあります。」
博雅が顔を上げ、まっすぐに宮と視線を合わせて断言する。
だが、宮の表情は苦いものになる。
「そなたが親しくしている地下の者とは・・・あの土御門の陰陽師か。」
「はい。陰陽師、安倍晴明殿です。」
途端に宮の表情が険しいものになる。
「話にならぬ。あの陰陽師は父親が四位とはいえ、自身は七位の地下人にすぎぬ。そなたの婿に相応しかろう筈がない。」
「されどっ!宮、私はっ・・・!」
博雅が必死に宮に訴えかけた。
「私は、ずっと決めておりました。この身が女のままであるなら晴明の妻になると。他の誰をも通わせないと、そう決めております。」
「ならぬぞ、博雅。宮家の姫が地下の者を婿取りしたなど聞いた事がない。そなたも四位の身分ではないか。そもそもそなたがあちらに足繁く通うのだとて身分不相応なのだ。そんな者を婿に取るなど、そなたの亡き父君や祖父君である醍醐の帝にも申し訳が立たぬではないか。よいな、今宵より雅信を三日の間こちらに通わせる。あの陰陽師など断じて許さぬぞ。」
「宮!」
博雅が悲痛な声を上げるが宮は構わず、それだけを言うと部屋を出て行ってしまった。
後には博雅と雅信が残された。
「博雅・・・」
雅信が博雅を案じる様に声を掛ける。
と、博雅の大きな瞳からぽろり、と涙が零れた。
それを目にした雅信は博雅にそっと近寄り、優しく抱き締める。
控えて一部始終を見ていた俊宏が心配そうな様子ではあったが、雅信は人払いを命じて下がらせた。
「博雅・・・それ程に私が嫌か?」
雅信の腕の中で博雅がゆるく頭を振る。
「違う、違うのだ雅信。すまぬ、おぬしが嫌なのではない。宮の言ももっともなのだ。だが、おれは、おれが共に在りたいと望むのは晴明なのだ。あの男が好きなのだ。」
雅信の腕の中から顔を上げてまっすぐに見据える博雅の瞳から、また新たな涙が零れ落ちる。
それを目にした雅信が切なげな顔になり、博雅の頬に手を添えて顔を近付け、その柔らかな唇に口付けた。
しっとりと、包み込む様に博雅の唇を覆う。
博雅は驚きに目を見開いていたが、その優しい接吻にいつか、目を閉じていた。
唇が離れ、雅信が優しく笑い掛ける。
「そんなに愛らしい顔で、そのように泣くものではないよ、博雅。私とて、抑えが利かなくなる。」
「あ・・・」
博雅の頬が染まる。
「博雅、それ程にあの陰陽師が恋しいか?」
雅信の問い掛けに、博雅はきっぱりと答えた。
「ああ。晴明が好きだ。あの男と居ると楽しい。あの男と呑む酒が一番美味い。あの男がおれの奏でる笛を聴いてくれて、只、美しい、と云われるだけで、おれは何より幸せな気分になれる。本当は何時でも晴明の傍にいたいのだ。少しの間でも離れたくないのだ・・・」
切々と訴える内に感情が昂ぶったのか、また博雅の瞳から涙が溢れ、零れ落ちる。
幾筋も涙が頬を伝い落ちていく。
それを見ていた雅信が更に博雅を抱き締める。
髪を撫で、背中を優しく叩いて気持ちを落ち着かせる様に。
「博雅、おぬしの気持ちは解った。私が何とかしよう。」
その言葉に博雅が顔を上げる。
まだ頬を流れる涙を雅信が指でそっと拭い、優しく微笑み掛けた。
「大丈夫だ。おぬしは何も案ずる事はない。必ずおぬしの望みを叶えるから・・・」
「しかし、雅信、それではおぬしは宮に・・・」
「父上もきっと解って下さる。昔から、誰よりおぬしを慈しみ、心に掛けていたのだから。ああは言ったが本当はおぬしが心配でたまらぬのだ。」
「それでは、おれは宮のお心を無にする事になる・・・」
博雅の表情が愕然としたものになる。
「いや、博雅、私はおぬしの想いを聞いて、その涙を目の当たりにして、やはり父の思う通りにすべきではないと判ったよ。 ここで父の言う通りにしていたらおぬしはまた泣くだろう?」
その通りだった。
今、ここで宮の思惑通りになったとしても、自分はきっと泣く。晴明を想って。
晴明に焦がれて。
「本当は私とて迷ってはいる。このままおぬしを強引に我がものにしてしまおうか、とか・・・」
その言葉を耳にして博雅の体が竦む。
それを安心させる様に微笑み、
「だが、博雅、おぬしの泣く姿は出来うることならもう見たくはない。おぬしはいつも声を殺して泣くのだから・・・だから、もうおぬしを哀しませないと約束しよう。ここで待っておれ。おぬしが望む者を連れてこよう。よいな、博雅。」
雅信の明快な言葉に、博雅はただ、頷いた。
雅信が待たせていた牛車で向かった先は、自邸ではなく、 土御門だった。
一条戻り橋を渡る牛車の轍の音を聴きつけた蜜虫が晴明に来客を告げる。
蜜虫に伴われて現れた客人の姿に、晴明は些か意外に思った。
現れたのは源雅信。
式部卿宮の息子であり、博雅とも血縁である彼の姿なら、宮中で何度か目にした事がある。
楽を能くする父の教えの成果か、自身も中々の腕前ではあるが、博雅には及ぶべくもない、というのが晴明の彼に対する評価である。
その雅信がわざわざ自身で土御門の得体の知れない陰陽師の元まで出向いてくるとは思えなくて、意外に感じていたのだ。
「そなたが安倍晴明か。」
晴明を目にした途端、いきなり切り出した。
「はい。天文得業生、安倍晴明にございます。」
両手を付き、恭しく頭を下げ、座を促す。
雅信が用意された座に腰を落ち着け、改めて晴明を見遣る。
色白の肌、端麗な眉目、紅を刷いた様に紅い、艶かしくも見える唇。
成る程、その容貌だけでも博雅が心奪われるのも無理からぬ事に思えた。
「蔵人頭、源雅信である。今日は、そなたと懇意にしている源博雅に付いて、そなたに伺いたい事がある。」
晴明の表情に、一見変化は無い、ように見える。
だが、博雅であれば、その瞬間、晴明を取り巻く空気が一変した事に気付いたかも知れない。
「さて、宮中ではその様な噂があるようですが、私と博雅様とはそれ程には・・・」
「今更隠さずともよい。私も博雅自身より、そなたと親しい、という話は聞いておる。もっとも、口さがない者達の中にはそなたと博雅が奇しの恋である、とも噂しておるようだがな。」
「さて、そのような噂が囁かれているのは存じておりましたが、私と博雅様とはそのように噂される仲ではない、と存じますが・・・」
「まこと、言い切れるか?」
「私はともかく、博雅様の御名に傷が付きます。そのような事実はありませぬ。」
「では、博雅の姿が女子であってもか。」
今度は、確かに晴明が瞠目した。
「何と・・・?」
「存じておらなんだか。」
「いえ、それは・・・」
ふと、晴明が言葉を途切らせ、真意を探る様に雅信を見据える。
心の奥底まで見透かされそうな鋭い視線に雅信は気圧されたが、臆する事なく真直ぐに見返した。
「偽りは申しておらぬ。博雅は今、女子の姿に変じており、その婿がねとして私が呼ばれた。」
「な・・・!!」
流石に晴明も二の句が告げないでいた。
博雅がまた女に変じたばかりか、既に婿まで決まっているという。おそらく、博雅の意志ではないだろうが・・・
「では・・もう既に博雅様の許へは通われたのですか・・・」
紅を刷いた様な唇が震えている。
珍しい事だった。
博雅の前以外では殆ど感情を露にしないこの男が。
「いや、今宵より三日の間通う手筈になっている。」
その言葉に晴明は雅信を見直した。
「しかし、通うのは私ではない。そなたが通うのだ。」
「私が・・ですか?」
晴明の声も表情も明らかに平静を失っていた。
雅信が更に言葉を重ねる。
「これは、博雅の望みなのだ。博雅は、そなたの妻になると、既にそう決めてある、と言うのだ。それだけであれば私も、この話を決めた父も承知はすまいが・・・博雅が泣くのだよ。泣きながら、そなたと共に在りたいと、そなたを好いている、と泣くのだ・・・」
「博雅・・さまが?泣きながら・・・」
雅信のどこか切なげな表情も、今の晴明には目に入っていなかった。
博雅が、泣きながら自分を選んでくれた。
その事実が晴明を高揚させる。
「だから、そなたが通えばよい。今宵より三日の間、私になりすまして想いを遂げるのだ。それが博雅の望みだ・・・」
「何ゆえ、そのようにして博雅様の望みを叶えて差し上げようとなさるのです?この話をお断りになれば、あなた様がお父上のご不興を被りましょう。」
「言うたであろう。博雅が泣くからである、と。あれが泣くのを見るのは辛い。博雅の意志を無視して我がものにした処で、あれは泣き続けるだろう・・・そなたを想い、焦がれて、泣き続けて、いつか、なよ竹のかぐや姫のように儚くなってしまうかも知れぬ・・・何故かそう思うのだ。」
そこで雅信はひた、と晴明を見据える。
「そなたはどうなのだ、安倍晴明。博雅の想いに応える覚悟はあるか。私の父の不興を被るやも知れぬ。それでも博雅を妻とするか。」
「元より、私はこの身、心の全てを博雅様に捧げております。博雅様がおられないこの現世は私には何ら価値がありませぬ。お約束致しましょう。生涯、いえ、死しても博雅様のみを唯一人の御方とすると。連理の枝とも比翼の鳥ともなり、博雅様を必ずお幸せにすると・・・身命、我が陰陽の神、泰山府君に賭けて誓いましょう。」
そう断言した晴明の瞳は澄み渡り、これまでにない強い輝きをも宿していた。
「それを聞いて安心した。私はこれより邸へ戻る。父上を説き伏せねばならぬ。そなたは博雅の許へ参れ。よいな、頼んだぞ。」
「承知致しました。その前に、お髪を少し頂けますか。雅信様のお姿をお借り致しますれば・・・」
くるりと背を向け、部屋を出ようとする雅信の背に晴明が呼び掛けた。
雅信が振り返ると、晴明が座して両手を付き、深く頭を下げていた。
言葉を尽くすよりも、その仕種が言い表せない程の感謝の意を示す。
雅信はそれを読み取り、微かに頷いた。
雅信が去った後、晴明は式を呼んで支度をさせる。
懐には先程貰い受けた雅信の髪を入れたものを忍ばせている。
それの表には”御名雅信 ”と書かれていた。
そうして、晴明を乗せた牛車が博雅の邸へと道を急ぐ。
そして、博雅は、これから男を迎える為に髪を梳き、衣を改め、塗籠の内でぼんやりと脇息に凭れていた。
本当に今宵、雅信ではなく晴明が来るのか。
雅信の人となりは幼い頃より知っていた。
嘘を言うような男ではない。
雅信がああ言ったからには安心して良いのかも知れない。
けれど、やはり不安は残った。
その時、さらさらと衣擦れの音がして女房が来客の到着を告げた。
「博雅様、雅信様がお越しになりました。」
博雅がびくんと震える。
やはり駄目だったか。
いや、仮に晴明であっても雅信が来る手筈になっているこの邸に正面から入って来れはしない。
そうしている間にも女房に案内されて男が塗籠に入ってきた。
戸が閉められ、博雅と二人きりになる。
博雅は背を向けたままだ。
「博雅。」
呼び掛けに博雅の体がびくんと揺れる。
「博雅、おれだ。」
その口調に博雅の目が見開かれる。
自分の前でだけ表すぞんざいな口調、まさか・・・
「せ、・・」
「しっ」
博雅の口を男ー晴明の手が塞ぐ。
「おれは雅信様、という事になっておる。ここでおれの名を言えば呪が解けてしまう。」
「そうか・・・まこと、おまえなのだな・・・」
晴明が低く呪を唱える。
すると、その姿が雅信から晴明の姿に変わった。
「夜が明けるまでだ。それと、この部屋に結界を張った。これでこちらの様子は一切外には漏れぬから安心しろ。」
その言葉の意味に博雅の頬が熱くなる。
「博雅、やっとおまえを妻に出来るのだな・・・」
晴明は惚れ惚れと博雅を眺めた。
今宵の博雅は紅梅の襲の五衣を纏っている。
その衣裳と博雅の愛らしい姿はまさに紅梅の精のようだ、と思った。
姫となった博雅は花なら紅梅を思わせる。
愛らしく可憐でありながら清らかで美しく、何より冬を乗り越えて真っ先に春を告げるその強さ。
「今宵は一段と美しい。紅梅の花がそのまま人の姿を取ったようだ。」
「ばか・・・」
博雅の頬に手を添えるとその大きな黒目がちの瞳が潤んでいた。
紅を差した、ふっくらとした唇がもの問いたげに薄く開かれている。
堪らず晴明はその身を強く掻き抱き、柔らかな唇を貪った。
息を吐かせぬ程に激しく舌を絡め、徐徐に博雅を押し倒していく。
口付けながら晴明の手が五衣の下、単の上を探っていた。
やがて唇が離れ、晴明の唇が今度は首筋に吸い付く。
「あ・・・」
博雅が聲を漏らす。
晴明の手はやがて単の中に潜り込み、肌を弄っていた。
直接胸元を触られ、博雅が僅かに震える。
「怯えるな、おまえはおれの妻になるのだから・・・これ以上はない程優しくしてやろう。」
晴明に甘く囁かれ、頬を染めながらも、博雅がこくり、と頷いた。
これから、晴明に女として愛される。
そう思うと恥ずかしくもあるが、気が昂ぶっていく。
晴明の手がしゅる・・と長袴の紐を解き、単の前を肌蹴た。
博雅の白い、美しい肢体が露になる。
「や・・・せ、・・・」
思わず身体を隠そうとしたが晴明にやんわり押しとどめられる。
「隠す事はない。おまえを愛でたいだけなのだ。綺麗だ・・・博雅・・・」
言い様、晴明はその白く豊かな乳房に顔を埋めた。
桜色の、花の蕾の様な突起が僅かに固くしこり始めている。
それにそっと舌を絡ませた。
「あっ・・・」
甘い聲が密やかに漏れる。
片方の乳首を唇で弄りながら、もう片方の乳房を片手で柔柔と揉みしだき、時折、つんと尖ったその突起を指で抓み、爪で弾く。
「ああっ・・・」
博雅の躯が仰け反る。
女としての、初めての愛撫と与えられる快感。
男の時とは全く違うそれに博雅は身を震わせ、戸惑いながらも躯は熱く高揚していく。
その内に晴明の片手が胸から徐徐に降りていき、腹や腰をなぞりながら、やがて秘められた下肢の中央、に辿り着いた。
そこをするりと撫でるとぴちゃ・・と粘質の音がする。
「あ・・・」
博雅の頬が途端に染まる。
胸への愛撫だけで、その秘めた陰からはしとどに蜜が溢れていた。
「泉のように蜜が溢れておるぞ。」
言い様、更に晴明が手を動かすとぬちゃぬちゃ、と更なる水音が漏れる。
「ああ・・・い、や・・・」
博雅の喉が反る。
初めて与えられる快感。
恥ずかしいのに躯だけはどうしようもなく昂ぶって、晴明の愛撫にそこがひくひくと蠢いて悦んでいるのが判る。
もっと、弄ってほしい・・・
「もっ・・と・・・」
「もっと弄って欲しいか。」
「あ・・・っ」
自らの発した言葉に博雅の顔がかあっと熱くなる。
自分がひどく淫らなものに思えて泣きたい位恥ずかしい。
「博雅、女であれば当然の事なのだ。女の身体は男を受け入れる様に出来ておるのだからな。」
「そう・・いうものなのか?」
「そういうものだ。」
博雅を安心させる様に優しく囁くと、更に指を進めて肉の花弁を掻き分け、その奥の花芯に触れる。
「ああっ!!」
博雅の躯に鋭い快感が走る。
いつか、晴明の唇は胸元から下に降り、指で掻き分けたその花芯を舌で舐め上げた。
「あ、ああっ・・・」
高く、甘い聲が断続的に博雅の唇から漏れる。
嫌々というように頭を振る度、ぱさぱさと艶やかな黒髪が顔に纏わりつく。
下肢の中央からは濡れた水音。
その水音が響く度に躯は悶え、打ち震え、甘い嬌声がひっきりなしに開かれたままの唇から漏れる。
全身がしっとりと汗ばみ、快楽に薄らと上気してほんのりと桜の色に染まった博雅の肢体は熟れた果実の如くで、且つ匂い立つように艶やかで美しい。
そんな博雅の様子に次第に晴明も下肢が堪えきれぬ程、熱く疼くのを感じていた。
伸び上がって博雅の瞳を覗き込み、甘く囁く。
「博雅・・・もうよいか。早くおまえと繋がりたい・・・」
「あ・・・」
熱く潤んで情欲を隠しきれない博雅の瞳から、涙が一粒、零れ落ち、つう・・と上気した頬を伝った。
それを晴明が舌で優しく舐め取り、ふっくらとした艶やかな唇にそっ・・と口付ける。
博雅も腕を晴明の首に絡め、二人は互いの唇を貪った。
唇が離れると晴明が身を起こして自らの衣を脱ぎ捨てる。
烏帽子も取り去り、白くしなやかな裸身をすべて露にした。
それを目にした博雅が更に頬を染める。
これからすべてこの男のものになる。
そう思うだけで泣きたい程嬉しかった。
自然、脚が晴明を迎え入れる様に開いていた。
晴明がゆっくり博雅に覆い被さり、静かにその陰に既に張り詰めていた自身を宛がう。
宛がわれた箇所から更に蜜が溢れる様を博雅は感じていた。
そのまま晴明が腰を進ませ、花弁を掻き分け、奥まで突き入れる。
そこで動きを止め、博雅に尋ねた。
「これより先はおまえには痛みが伴うが・・・どうか許してくれ。」
博雅がにっこりと微笑む。
「平気だ。おまえが与える痛みなら、この身を引き裂かれたとて、おれには甘い痛みだろうよ・・」
「博雅・・・」
その笑顔に励まされるように、更に腰を進めると何かに自身が当たる感触がした。
そのまま突き入れると何かを突き破ったような感触が直に伝わった。
「あっあああーっっ!!」
博雅の絶叫が響く。
鉄が錆びた様な臭いが鼻を突き、晴明のものに何かの液体がぬる・・と纏いつき、博雅の穿たれた箇所から流れ出した。
博雅の、破瓜の出血だった。
「あ・・・あ・・・」
流石に想像以上の痛みだったのだろう。
博雅の躯が震え、顔から血の気が引いてしまっている。
そのまま博雅が落ち着くまで晴明は動かずにいた。
このままでは晴明にも辛いが、今は博雅の躯が大事だった。
やがて、博雅の呼吸が安定し、それと同時に晴明を受け入れた箇所も蠢き、そこを犯すものに纏わりつくようになってきた。
「博雅・・動くぞ。よいか?」
「え、あ、ああ・・・」
不意に晴明が動き出した。
「ああっっ!!」
博雅が躯を仰け反らせる。
「博雅・・摑まっておれ。」
晴明が博雅の投げ出された腕を己の背に導いた。
縋るものを得て、博雅の腕がぎゅっとその背にしがみ付く。
最初はゆっくりだった晴明の動きが徐徐に早さと激しさを増していく。
「あっあっああっっ」
博雅にもまだ痛みはあったが、その痛みすらも快楽が徐徐に凌駕していき、高い嬌声を抑えきれなくなっていた。
腕が晴明の首にしがみ付き、熱い楔が穿たれている腰も自然と揺らいでいた。
その度に肉壁がきゅうっ・・と締まり、晴明のものを締め付ける。そのきつく柔らかい感触に晴明も深い悦楽を感じていた。
女となった博雅をこの腕に抱き、躯だけでなく全てに於いて結ばれる。
世俗的な繋がりと、陰と陽の結びつき。
その気分の高揚が更に悦楽を深いものにしていく。
「ああ・・・博雅、悦い、まことにおまえは悦いよ・・・」
「あ、あ、ああっっせ・・せいっっ・・・ああっっ!!」
互いに聲が掠れ、息は荒く、想像を上回る、深すぎる悦楽に二人、溺れ、獣の如く貪りあっていった。
「ああっ、も、もう・・・!!」
博雅の聲が切羽詰ったものになる。
頂点が近い。
「構わぬ、達ってよいぞ。」
晴明が更に深く内を突き上げた。
「あ!あ、あああーーっっ!!」
博雅の脚がびくんと反り、大きく震えて視界が白く染まった。
頂点を迎えた瞬間、内壁も更にきつくぎゅる・・と締まった。
「ううっ・・・!!」
きつい締め付けに堪え切れず、晴明が熱い精を博雅の内に叩きつけた。
「あ、ああ・・・」
その感触と達したあまりの衝撃に暫く博雅の躯は痙攣していたが、やがてまだ息が荒いながらも落ち着き、晴明を見上げる。
「博雅・・・」
「ああ、せ・・・」
そこまで言って博雅は言葉を噤んだ。
晴明の名は口に出せないのだ。
晴明はくすりと笑い、その頬を優しく撫でる。
「三日の間の辛抱だ。これが過ぎたら存分に名を呼んでよいぞ。閨事のときに・・な。」
「なっ・・・!!」
また博雅の頬が紅くなった。
そんな博雅が愛しくて、自身を博雅の内から引き抜くと、その胸に抱き締めた。
博雅の内からとろ・・と晴明が吐き出したものが腿を伝う。
「あ・・・」
羞恥に晴明の胸に顔を埋めてしまう。
その髪を撫でながら、優しく囁いた。
「さあ、少し眠れ。今は身体を休めるとよい。三日続けて通うのだからな。」
博雅が益々顔を埋める。晴明はくすくす笑っていた。
その頃、式部卿宮邸では雅信が父と向かい合っていた。
「では・・・博雅の許に通うのはそなたではなく、あの陰陽師だと申すのか。」
「はい。既に晴明殿が博雅の許に通っているでしょう。それがあの二人の望みでしたから。」
「ならぬぞ、雅信!」
宮の表情が怒りを帯びたものになった。
「そなた、この私の顔を潰す気か!そなたと博雅の為を思えばこそ私はこの話を進めたのだ。博雅も何と恩知らずな・・・あれの後見を勤めたこの私を欺くとは・・・!」
「ですが、父上も些か事を急ぎ過ぎたように思われます。それでは博雅でなくとも受け入れかねるでしょう。」
「だから、あれが幼少の頃よりの知己であるそなたに決めたのだ。そなたとあれは仲が良かったからな。今もそうであるのを知っていたから、そなたならあれも拒みはすまい、と、親心のつもりだったのだ。」
「父上のお心は私も博雅もよく存じております。されど、それでも、博雅が想うのはあの安倍晴明、唯一人なのです。」
「話にならぬ!宮家の姫が陰陽師ごときを婿に迎えたなどと・・この私だけでなくそなたや博雅とて立つ瀬がなかろう。そもそもそなた、何故にそこまで博雅の望みを叶えてやろうとする?そなたも博雅を憎からず思うていたのではないか。」
「はい。あれとは友と呼び合う仲ですし、姫となった博雅を目にした時には、正直、心が動きました。このまま我がものにしたいとも、一瞬思いました。ですが、それでは博雅は幸せにはなれません。あれは、泣きながら告げるのです。自分が想うのは安倍晴明だと。その姿を目の当たりにして、あれの望みをどうでも叶えてやりたく思いました。それに、友であるなら、その望みを叶えたい、と思うのが人の心ではありますまいか・・・」
「博雅が泣くと申すか・・・」
宮は、ふと思い出した。
博雅が幼い頃、肉親を一度に失った博雅を手元に引き取り、養育した。
自分の教えが厳しくとも、その前ではけして泣き顔を見せなかった。だが、楽の腕が上達し、自分に褒められると嬉しそうに、そこだけ陽が射した様な笑顔を見せた。
何時でも自分を慕い、一身に自分の期待に応えようとする姿がいじらしく、可愛く、いとおしかった・・・
「私は・・・今回のこの話によって博雅が私に近くなる、その事が嬉しかった・・・また、私の教えた和琴を奏で、私にあの笑顔を向けてくれるのかと・・私はそれを望んでいた・・・」
何処か遠くを見つめるような父の眼差しに、その頼りなげな口調に、雅信は深く頭を下げた。
「申し訳ありません・・父上。」
父には父の想いがあった。
強引にこの話を進めはしたが、雅信の為でもあり、博雅の為を思えばこそ、二人の幸せの願って進めた話だった。
だが、心の奥底では父が一番博雅を望んでいた・・・
「もしや、父上こそが博雅を娶りたかったのではありますまいか・・・?」
宮が胡乱な表情で雅信を見遣る。
「そう・・かも知れぬ。或いは、そうしておれば良かったのやも知れぬ。だが、今となっては・・・」
「・・ですが父上、これよりは何時でも博雅が笑う姿を見る事が出来ます。何故なら、安倍晴明は私に誓ったのです。けして博雅を泣かせぬと、必ず幸せにする、と、泰山府君に賭けて誓うと申しました。」
「ああ・・・」
宮の脳裏にはまだ幼い博雅が自分に向けて屈託のない明るい 笑顔を見せる姿と、先日目にした姫姿の博雅が嬉しそうに笑う姿が・・何故か重なった。
暁が降りる。
夜明けが近付いている刻限になった。
晴明が目を覚まし、傍らの博雅の頬を優しく撫ぜる。
「ん・・・」
博雅が身動ぎしてうっすらと目を開けた。
目前に晴明の柔らかく微笑んだ顔がある。
博雅は安心して擦り寄り、更に眠りにつこうとして・・・違和感に気付いた。
擦り寄った晴明の身体との間に何故か柔らかい隔たりがある。
なんとなく自分の身体に触れてみて・・・胸元の感触に気付いた。ふっくらとした豊かな乳房が・・・ある。
「う、うわっっむ、胸がっっ」
「落ち着け博雅。おまえは今は女の姿なのだ。その姿で昨夜は おれと閨を共にしたのだ。」
「あ・・・」
途端、昨夜の事が唐突に思い出され、ぼんっと博雅の顔が真っ赤になる。
「思い出したか?」
「あ・・・う・・」
博雅が口をぱくぱくさせる。
初めて女の姿で晴明を受け入れたのだ。
さぞ動転していることだろう。
「おれはもう行かねばならぬ。だが、今宵また来る。三日目の暁には晴れて三日夜の餅だ。」
「もう・・行くのか・・・」
博雅の瞳が切なげに晴明を見上げる。
「そんな顔をするな・・・帰れなくなるではないか。」
晴明が優しく博雅の額に口づけた。
そして身支度をして、雅信の髪を入れて、呪を施したものを懐にしまう。
「博雅・・これを。」
晴明が手渡したものは紅梅の一枝に結ばれた薄様の文。
「おまえを手に入れた嬉しさに他が思い浮かばなかった。次には違う歌を贈ろう。」
博雅が文を開くと覚えのある歌が流麗な手蹟でめられていた。
″想へども 身をしわけねば 目に見えぬ 心を君に たぐへてぞやる ″
いつか、晴明に贈られた歌だった。
初めて晴明と結ばれた日。
あの時もこの歌だった・・・
ぽろり、と博雅の瞳から涙が零れ落ちる。
「嬉しいよ・・・」
晴明はふわりと微笑むと、もう一度その温かく柔らかな身体を抱き締め、その涙を唇で吸い取って・・・離れた。
「今宵また・・・」
ふわりと、音も無く、風が過ぎたかの様に晴明の姿は部屋からするりと出て行った。
博雅は一人、その文を胸に抱き締め、甘やかな余韻に浸っていた。
その日も陽が徐徐に傾き、宵の口、晴明を迎える刻限が近付いてきた。
博雅は入念に髪を梳き、唇に紅を差し、衣も新しいものに 替え、晴明を待った。
やがて女房に案内され、晴明が静かに部屋に入ってきた。
今宵の博雅の衣裳は紅の薄様。
赤から段々に薄くしていき、最後は白の襲である。
晴明が溜息を漏らす。
「今宵は一段と美しいな・・・」
「少し・・支度を念入りにしたのだ。・・変か?」
「いいや。今すぐ喰らいつきたい程愛らしいよ・・・」
「ばか。」
頬を染めた博雅の、紅を差した艶やかな唇に優しく口づけ・・ゆっくり押し倒していった。
「あ・・は、あ・・・」
秘められた閨の内。
灯火の下で密やかな聲が甘く響く。
昨晩よりも博雅の躯は素直に開いた。
晴明を受け入れた其処も、熱く、柔らかく晴明のものに絡みつき、腰が自然と揺れて脚も晴明の腰に絡まり、自分から与えられる快楽を求めているようでもある。
互いに余裕が無いようだった。
餓えた獣の如く、ただ、互いを求め、貪り、絡み合う。
一度、共に絶頂を迎えてからも収まらず、再び互いに溺れていった。
そして、二日目の夜が明ける。
自室で、脇息に凭れて博雅がほう・・と息を吐く。
どこか気怠げなその姿は開ききった紅梅の花弁が露を含んで更に甘く清しい馨を漂わせるように、愛らしく品のある姿ながらどこか艶やかで。
昨夜は随分と乱れてしまった・・・
何も判らなくなる程に晴明を求め、求められ・・・
またも顔がこれ以上ない位紅くなる。
思い出すのがとんでもなくはしたない気がするが・・・
本当は嬉しい。
晴明に求められる事が。
また今宵も通ってくれる。何を着よう・・・
そう考えて苦笑する。
本当に姫のようだ。
心は身体に引き摺られるものらしい。
姫の姿で、女として晴明に愛される内に、女の情感まで備わってきたものらしい。
今まで男として家を、帝の側を護ってきた事を思えば少し寂しい気もするが・・・
それでも、この育っていく情感は嫌なものではなかった。
そして、この日も暮れて、待ち望んだ刻限が訪れる。
女房に案内された晴明が博雅の待つ部屋にするりと入ってきた。
「博雅・・・」
呼ばれた博雅が振り向く。
晴明を認めて花が綻ぶような笑顔を見せる。
「今宵も美しい・・・」
晴明が博雅の手を取る。
今宵の博雅は紫の匂いの襲。
紫を段々に薄くし、単は白である。
その高雅な色合いが更に博雅の元からの気品を際立たせ、匂い立つような艶やかさも醸し出している。
博雅を抱き締めるとふわりと甘く清しい馨が漂う。
博雅が好む梅香だった。
その唇を貪りながら単の前を寛げる。
「今宵は・・この五衣を纏ったまま可愛がろうか。」
「な・・・!」
羞恥で博雅の頬に朱が昇る。
「どんなにか花の如くに艶やかであろうな。」
晴明がにたりと笑った。
「んんっ・・ん・・・」
博雅の口腔を晴明が貪るように犯す。
激しく舌を絡めながら晴明の手が博雅の胸元を這い回った。
既に博雅の単は完全に前を肌蹴られ、長袴は足首に引っ掛かるだけとなっている。
博雅は紫の匂いの五衣を腕に引っ掛けながら前だけを曝した姿で晴明に犯されていた。
晴明の手が柔らかな乳房を揉みしだき、つん、と勃ち上がった桜色の蕾を爪で弾く。
「んっ!」
びくんと躯が仰け反る。
羞恥に更に躯が薄く染まるが、その躯は更なる愛撫を求めて震えている。
やがて互いの唇が離れ、二人分の蜜がつう・・と博雅の顎を伝った。
それを追い掛けるように晴明の唇が舐め取り、首筋を甘く 吸い、胸元に降りて、色を増したその蕾をねっとりと舐める。
「ああっ・・」
甘い聲が漏れた。
「・・もっと・・・」
知らず、博雅の腕が胸を愛撫する晴明の頭を抱え、強請るように押し付ける。
それに応える様に晴明の舌が可愛らしい蕾を舐め上げ、唇で 吸い付いてはかり、と齧る。
「あんっ!」
晴明の愛撫に躯が歓喜に震える。
胸元を散々唇と指で弄られて、自らの下肢が熱く疼くのが判った。
秘められた陰からとろ・・と蜜が溢れる。
晴明の指が胸を離れ、陰に伸ばされた。
女の躯は受け入れる事に従順だ。
それだけでもう男を受け入れる準備が出来ている。
白く細い指で内を掻き分け、掻きまわすとぐちゅぐちゅと湿った粘質な音が響いた。
「あっっああっっ」
博雅が堪らず身悶える。
早く晴明を受け入れたい。
晴明とひとつになりたい・・・
「も、もう・・・」
知らず、強請っていた。
「もうよいのか博雅。」
「あ、あ・・・早、く・・・」
うっすらと上気した躯が艶かしく褥の上をくねる。
黒々とした大きな瞳は情欲と悦楽に潤み、開かれたままのふっくらとした唇は口づけの為に紅く色づき、口の端からつう・・と蜜が零れていた。
全身で晴明を誘う博雅。
その姿だけで晴明の下肢が荒れ狂う程に熱を孕む。
「博雅・・・」
晴明の声も抑えきれない情欲に掠れていた。
博雅の腰に自身の熱く、狂暴なまでに昂ぶったものを押し付ける。
「あ・・・」
博雅の頬が染まる。
「よいか・・・」
博雅が頷く。
蕩けきった秘所に晴明の熱い欲望が宛がわれ、ぬぐ・・と突き入れられた。
「ああっ・・・」
博雅の躯が反らされる。
待ち望んだ感触に肉壁が蠢き、晴明のものに絡みつく。
不意に晴明が強く腰を動かした。
「あうっ」
脚がびくんと跳ねる。
そのまま晴明は激しく、深く博雅を穿ち続けた。
「ああっっあ、あんんっっ!!」
断続的に高い嬌声が漏れ、博雅の腕と脚が晴明に絡みつく。
その瞳から涙がつう・・と零れた。
嬉しかった。これから先、ずっと晴明のものになれる事が。
焦がれたこの男とずっと共に在れる事が。
「博雅・・博雅・・・!」
晴明の声が熱を帯びて博雅の名を呼ぶ。
いつも冷静なこの男がこんなにも余裕を失くしている。
その事が堪らない歓喜を覚える。
そうして、共に果てを極めた。
互いを求める心は一度だけでは足りなくて、更に激しく絡み合った。
疲れ、眠りに落ちた博雅を晴明がこの上なく甘く優しい眼差しで眺めている。
何度睦み合ったかもあやふやな程互いを求めた。
幸せだった。
この世のすべてより何より愛しく想い、焦がれたひとをこの腕に抱き、生涯己だけのものに出来た喜び。
これまで以上に博雅が愛しい。
その姿が男でも女でも構わなかった。
この眩い魂にこそ自分はこんなにも惹かれたのだから。
未明の頃になり、暁が次第に降りてくる。
晴明の腕の中で博雅は目を覚ました。
愛しい男の腕の中なのを確認すると、目の前の美しい顔に微笑む。
博雅より先に目覚めていた晴明も優しく微笑み、唇を寄せてしっとりと、そのふっくらとした唇に口づけた。
暫く博雅の唇を堪能して離れると、その額や頬に触れるような口づけを降らす。
それがくすぐったくて、心地よくて、晴明の背に腕を廻してより躯を密着させた。
外から衣擦れの音がして女房が声を掛ける。
「博雅様、お目覚めでございますか。」
「あ・・・」
驚いた様に博雅が身動ぎし、晴明を見上げた。
「大丈夫だ、博雅。」
安心させる様に微笑み、体を起こして博雅に単を着せ掛け、自分も単を羽織る。
「失礼致します。」
女房が手に折敷を携えて入ってくる。
そして、灯台に灯を灯した。
既に晴明は呪を解いている。
灯りに照らされた顔を見た女房が「まあ」と声を上げた。
博雅の傍らには源雅信ではなく、安倍晴明の姿があった。
入室した女房は博雅の乳母で、博雅には母とも思える人だった。
「そ、その・・・右近、これはだな・・・」
博雅があたふたと言い訳を試みる。
それに晴明が口を挟んだ。
「こちらの家人の方々を欺いたようで申し訳ありませぬ。しかし、これは私も博雅様も望んだ事なのです。どうでも許されぬとあらばこの晴明一人に咎があります。」
「違う!これはおれが強く望んだのだ!晴明でなければ嫌だと雅信に訴えたのだ!咎ならおれにもある。おまえ一人を悪いなどとは言わせぬぞ!!」
晴明の胸に取り縋って博雅が泣き叫ぶ。
「三日の間、契りを交わしたのではないか・・・もうおれは おまえの妻だ。おまえ一人をけして・・けして・・・」
更に感情が昂ぶったか、激しく泣きじゃくる。
晴明はその背に腕を廻し、落ち着けるように髪を撫でてやる。
「身分違いなのは判っております。ですが、許してはもらえぬでしょうか、女房どの。この事は雅信様も承知の事です。」
「許すなどと・・・」
博雅の乳母、右近が首を振る。
「私は、博雅様のお相手は雅信様ではなく、晴明様ではないかと思うておりましたよ。この三日の間、博雅様はそれはお幸せそうなご様子でしたから・・・最初の夜は全く気乗りせず、どこか心ここにあらずの風情でしたのに、次の夜からはそれは念入りにお迎えをされる為の支度をなされて・・更に、博雅様はこれまで以上にお美しく、輝くばかりでございました。どこか色も増した様にも思えます。 女とは、好いた殿御に愛された時がもっとも輝きを増すものですから・・・」
その言葉に博雅が恐る恐る振り返る。
「では・・・許してくれるのか?」
「博雅様が選ばれた御方なら私にも異存はございません。 確かに晴明様は今は些か身分が低うございますが、大膳大夫様のご子息であられるし、帝の信頼も厚い、優れた陰陽師と聞き及んでおります。何より、博雅様を二無い方と想い、いとしんで下さいます。
それに、実は雅信様よりのお使いの方が見えたのですよ。博雅様との話は無かった事にする、と。先程そう告げられて行かれました。私も俊宏もそれは承知の事ですよ。」
(ちなみに俊宏は右近の息子)
「晴明・・・!」
博雅が晴明に抱きつく。
晴明も嬉しそうに笑って博雅を抱き締めた。
「さあ、一先ずこちらを召し上がられて下さいませ。三日夜の餅でございます。」
差し出されたそれは彩りも鮮やかに飾り立てられた、小さな丸い餅。
これを咬まずに飲み込めば婚儀の成立である。
晴明が手を伸ばし、一つ抓んでそのまま飲み込む。
続いて博雅も同じように飲み込む。
二人共に三つを飲んだ処で右近が手を付き、頭を下げた。
「おめでとうござります。」
右近が気を遣って下がった部屋の内。
二人は互いに寄り添っていた。
博雅を背後から抱き締めた晴明がその耳元に甘く囁く。
「これよりは・・比翼の鳥とも連理の枝ともなり、生涯睦まじく過ごそう、吾妻よ。何よりおまえが愛しいよ・・。」
晴明の熱く力強い抱擁に身を委ね、博雅も熱く囁き返す。
「おれもだ・・・晴明。わが背の君・・・」
自然とふたり、顔を寄せ、互いの愛しい唇にくちづけた。
結
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