こひぞ積もりて 淵となりぬる
最近、博雅には秘密が生じた。
自分と、もう一人だけが知る、甘い禁忌の密か事。
いつもの様に博雅は自らの後見を務める楽の師でもある式部卿宮、敦実親王の部屋へと向かう。
「宮様、博雅にございます。」
「来たか、構わぬ、入って参れ。」
部屋の主が応えると、それに一礼して博雅が御簾を潜り、其処に端座して己を待つ式部卿宮の傍に歩み寄る。
その足元には和琴がふたつ、置かれていた。
宮に楽の指南を受ける為のものだった。
暫くして、妙なる楽音が邸中に響き渡る。
その妙音は、邸の部屋で寛いでいる、宮の二人の息子にも届いていた。
「おや。父上と博雅が奏している様ですね、兄上。まこと、天の妙音とはこの事。これ程の素晴らしい音を間近で聴けるとは、我等は果報ですね。」
「・・・そうだな」
「兄上?何やら浮かぬ顔ですね。」
「そのような事はないよ、重信。」
弟にそう返しながらも、兄の雅信の表情は僅かに曇ったままだった。
雅信は父と博雅が共に居る事を、近頃あまり快く思わない様だった。
雅信の思惑を他所に、寝殿の一角で宮と博雅は師弟として共に和琴を奏で、博雅はその指南を受ける。
やがて、楽の音が途切れた。一通りの指南が終わったのだ。
「博雅、近頃とみに上達したのう。そなたは笛と比べて和琴は些か得手ではない、と申しておるが、そなたの笛の域に達するのは生半な事では為しえぬよ。」
「勿体のうございます。宮様のご指南の賜物にございます。笛は・・気が向けば何時でも奏でられるので、つい、そちらが得手になってしまうようです。
和琴も、もっと学んで、出来ますれば、宮様のお手にもっと近付きとうございます。」
「はは、それならこの邸におらねばなるまいな。そなたが元服を終えても此処に通わねばなるまいぞ?・・・博雅、おいで。」
宮が博雅の手を取り、軽く引き寄せると、博雅は大人しくその腕に納まった。
それを宮は優しく抱き締め、愛しげに角髪を結った頭を撫でる。
「・・・元服を終えたらこの邸を去らねばならぬとしたら、私は元服など迎えとうはありませぬ。宮様と離れるのは嫌でござります・・・」
宮の胸に頬を埋めて切なげに呟く博雅を、宮は愛しげに見詰める。
「私もそなたと離れたくはないよ、博雅。よもや、この歳になってこれ程に愛しいものが出来ようとは、夢にも思わなんだ。時折、思うのだ。そなたと二人、京を離れ、何処か
静かな処にそなたと二人で居られたら・・・」
「真でござりまするか?宮様・・・」
宮は応える代わりに博雅の頬に手を添え、上向かせると、そのあどけない、柔らかい唇に己のそれでそっと触れた。
博雅も、心得たように、そっと瞳を閉じる。
宮が舌先で促すと、唇が薄く開かれた。
その隙間から宮の舌がするりと忍び込み、博雅の口腔を弄る。
いつか、博雅の腕が宮の首に廻され、二人は共に甘く激しい口付けに酔いしれた。
暫く互いの唇を堪能して、そっと唇を離す。
二人の唾液がつうっと糸を引き、博雅の唇からも一筋、顎伝い落ちた。
それを宮の舌がつ、と舐め上げ、そのまま首筋に這わされていく。
「あ・・・」
ぞくり、とする何処か甘い感覚に、博雅の躯が震える。と、とさ、と微かな音を立て、博雅の躯が押し倒された。
見上げる宮の瞳には熱が籠り、真っ直ぐに博雅を見詰めている。
「博雅、そなたがあまりに愛しい。時折思う。いっそそなたを此の儘浚ってしまおうかと。だが・・・」
そこで言葉を切り、再び博雅に覆い被さり、その襟元を寛げ、手を差し入れて愛撫を施していく。
博雅は甘い聲を漏らし、宮の愛撫に身を委ねながら、その瞳は切なげに細められ、眦から一筋、涙がつう・・・、と零れた。
博雅にとって、宮は様々な意味で初めてのひとだった。
初めての、肉親以外の血縁に逢い、楽の指南を受け、そして、初めて恋をした。
そして、その人と初めて情を交わした。それに、いつか博雅は溺れた。
未だ幼い心と躯にそれはあまりに強い刺激となり、まるで瀬の淵に嵌る如く、恋の淵に嵌っていった。
このまま、宮と二人、抱き合っていられればそれでいい。そうも思った。
「あん・・・あ、宮、さま、あ・・・」
博雅は、単一枚の姿となり、大きく前を肌蹴、下肢も露わにした姿で宮と向かい合わせに座し、奥の秘所に男のものを受け入れていた。
時折、宮の唇が目前でちらつく博雅の胸の果実を啄ばみ、かしりと歯を立てる。
「あん、」
その度に博雅は歓喜に背を撓らせ、更に腰の動きを早めていった。
それに誘われる様に宮も博雅の細い腰を掴んで、下からの突き上げを激しいものにする。
「あん!ああ、あっあっ、」
博雅は断続的に高く甘い聲を上げ続け、宮に縋り付いて、只、交合の悦楽に溺れる。
激しい動きに、結った角髪の紐がするりと解け、さらりと艶やかな黒髪が肌を滑る。
それを一房手に取り、宮は愛しげに口付けた。
「博雅、そなたは私のものだ。今だけは、せめて、今だけは・・・」
「宮様・・私も・・・」
宮に縋り付き、甘く囁きながら博雅が必死に応える。
「博雅も・・宮様のものにござります、離れとうは、ありませぬ・・・」
「ああ、博雅・・・」
宮は博雅をきつく抱き締め、更に腰の動きを早めた。
「ああっっ!!」
博雅が背を反らせ、歓喜に啼く。
そのまま、二人、獣さながらの激しい睦み合いに夢中になり、やがて、共に果てを極めた。
暫く、二人共に荒い息を吐いていたが、やがて宮がゆっくりと博雅の内から己を引き抜き、その躯を褥に横たえる。
角髪が解かれた艶やかな髪が上気した肌に貼りつき、呼吸を貪って上下する胸が、その蕾をつん、と勃ち上がらせていた。
それを眺めていた宮が、つ、と手を伸ばし、蕾に触れる。
「あ・・・」
博雅がぴく、と身動ぐ。宮はそのまま手を胸には這わし、再び覆い被さって片手で胸の突起をくりくりと摘み、寄せた唇でそれを含み、嘗め回す。
「あ、宮・・さま、もう・・・」
「まだ足りぬ。博雅、そなたとて足りぬのではないか?」
宮がふ、と笑い、空いた片手で博雅の下肢の中心に触れた。
それは僅かに震えて先から滴を垂らしつつある。
「こちらもまだ欲しがっておるようだぞ・・・?」
「あん・・・」
宮の指が博雅の下肢をいやらしく弄り、胸元もちゅくちゅくと音を立てて舐めしゃぶる。
「ああ・・は、ん・・・」
博雅も宮の頭を掻き抱く様にして、その濃密な愛撫に悶え、酔いしれ、その後は飽く事なく、二人、躯を絡ませ合っていった。
甘く濃密な夜が明け、宮の腕の中で博雅は、睦み合いに疲れ果て、静かに眠りを貪っていた。
先に目を覚ましていた宮は、愛しげに目を細めてそのあどけない寝顔を見詰め、解かれた黒髪を指に絡めていた。
と、几帳で隔てた部屋の前で、御簾の向こうに気配を感じた。
「父上、雅信です。宜しいでしょうか。」
「・・よい、入って参れ。」
宮は気だるげに体を起こし、夜着を羽織って褥を出る。
几帳を除けて御簾の前に出ると、其処に雅信が控えていた。
博雅より先に元服を済ませていた彼は、きちんと烏帽子に直衣の姿で、幼いながらも品格を漂わせている。
「このような刻に、何ぞ用か。」
「は、申し訳ありませぬ。少しお話がありましたものですから。」
話、と聞いて宮はちらりと褥の方を伺ったが、其処に座して話を聞く事にした。
「父上は近頃、あまり出仕をされておられぬとか。」
「その事か。構わぬではないか。主上もよい、と申されておられる。まあ、あの主上が私に何か申せる筈もないが。」
宮がゆったりと微笑む。博雅や雅信よりもなお幼い今上に、自分の意志があろう筈もなかった。それを宮は見越していた。
「ですが、父上は近頃、とみに博雅どのと過される事が多くなって参りました。一日中、いや、夜までも・・・」
雅信が宮を真っ直ぐに見据える。宮には息子が何を言いたいかが分かっていた。
「私が博雅を色稚児代わりにしている、と申したいのか」
「は、いえ、そのような事は・・・」
「構わぬ。そう思われても致し方のない事を、私は博雅にしている。」
「父上・・・」
そこで雅信の視線が非難がましいものになる。
「だが、言うておくが、私は戯れで博雅と睦みおうているのではない。愛しく想うが故だ。」
「父上・・・?」
「私は、博雅を愛しく想うている。今迄、どのような姫にもこのように心動かされる事は無かった。皆、戯れの相手、一時の慰めだからだ。だが、
博雅だけは一時の慰めにしたくはなかった。哂うか、雅信。私は、恋をしているのだ。
そなたといくらも歳の違わぬ、幼い者に戀を覚え、歳も弁えずそれに溺れるこの父を・・・」
「父上・・・そのような・・・」
その時雅信が見た父の姿は、自分のよく知る父ではなかった。
何処か自嘲気味に口元を歪め、だが、その目元は心持ち伏せられ、雅信を見ている様で、見てはいなかった。
時折、ふと横目で褥の方を伺う。
其処には、幼い想い人が未だ深く眠りについていた。
その時の父の眼差しは何処か柔らかく、漸く雅信は悟った。
父は本気なのだ。
本気で、雅信より僅かに歳が上なだけの、未だ元服も済ませぬ幼さが残る博雅に、父が本気で恋をしている。
「・・・私も、このままこの関係が続くとは思わぬ。博雅も、何れ元服を済ませ、この邸から出て行く。だから、せめて今だけは、私の手元に在るうちは、片時も離れていたくない。僅かな時も博雅と共に居たいのだ。
時折思う。博雅と二人、此処を出て、いつまでも共に在れたら、と・・・」
「父上・・申し訳ありませぬ。」
雅信が手を付き、宮に深く頭を下げる。
「雅信、何を謝る。」
「父上の御心もお察しする事が出来ず、心無い事を申しました。お詫びのしようもありませぬ・・・」
「よいのだ。そなたは私と博雅を案じてくれたのだろう?いや、そなたはより博雅を案じていたのだ。この私の慰み者になるのでは、とそれを危ぶんだのだろう?」
「は・・・」
そこで初めて、雅信は何か、胸に落ちるものを感じた。
父を案じ、母方の従兄にあたる博雅を案じ、だが、その想いの根本はどこにあったのか。
一人、逡巡して目を伏せる雅信を見遣り、宮はす、と立ち上がる。
「話はそれだけか。私はもう少し寝む。今日も物忌みとする。」
雅信が顔を上げると、宮が几帳の向こうの褥に戻る後姿が見えた。
宮が再び褥に体を横たえると、博雅が身動ぎ、ゆっくりと目を覚ました。
「宮様・・?」
「おお、目を覚ましたか博雅。さ、もう少し休んでおれ。」
と、博雅が擦り寄って甘える様に宮の胸に頭を寄せた。
「宮様も御一緒に寝みましょう。宮様の腕の中は心地ようございます・・」
「博雅」
宮が腕の中に博雅を抱き込み、その額に口付ける。
「今日もずっとそなたと共に居よう。さあ、少し寝め。」
「はい・・・」
博雅は安心した様に宮の胸に擦り寄り、うとうとと微睡んでいった。
宮もその体を更に抱き込み、その髪に優しく口付ける。
今だけは。せめて、今だけでも、この愛しいひとと戀の淵に溺れていたいのだ・・・
筑波嶺の 峰より落つる皆野川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる
了
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