春の御使い
頃は梅が紅白共に咲き匂う如月の頃。
その日は珍しく仄かに陽射しが柔らかく暖かく、晴明は濡れ縁でちびちびとやりながらこれから訪れるであろう友を待つ内に、何時しか柱に背を預けてうとうとと微睡んでいった。
「晴明、来たぞ。」
やがて晴明が待ち焦がれたひとの声が聞こえた。
博雅の穏やかな柔らかい声が耳に心地よい。
もう少し微睡みの中でその声を聞いていたい。
晴明はすぐには目を覚まさず、そのまま目を閉じていた。
「晴明?寝ておるのか?」
博雅が濡れ縁に上がり、晴明の顔を覗き込む。
では、そろそろ目を開けるか…晴明がそう思った瞬間。
ふわりと優しく清しい薫が広がった。
頬に何かの感触を感じた。温かく、柔らかい、少し湿った感触…
博雅がこっそり晴明の頬に小鳥がついばむ様な優しい口付けを落としていた。
晴明から唇を離した博雅は途端に真っ赤になってくるりと背を向け、庭に降りてしまった。
晴明は暫し呆然としていたが、薄らと目を開けて博雅を伺い見る。
庭の梅の木の傍らに佇んでその咲き匂う花を眺める博雅の横顔は、その白い頬に紅梅の色を映した様にほんのりと染まっていた。
晴明は扇で口元を隠し、声を立てぬ様にこっそりと笑っている。
まこと、可愛らしい君だ。
改めて庭に佇む博雅を眺めやる。
萌黄の襲の直衣を品良く着こなした博雅が紅白の梅の木の下に佇む姿は、春が一足早く訪れ、人の姿を取ったかの様に思えた。
宛ら、佐保媛の如くだな。
晴明は一人ごちて目を細める。
それが女神であっても、晴明にはどちらでもよい。
晴明にとっては博雅こそが春の御使いに見えるのだから。
「博雅、そろそろこちらに来い。酒の用意が出来てるぞ。」
「お、おう。」
いつしか、ぼんやりと梅を眺めていた博雅が晴明の声に、ふと我に返った様な面持ちで晴明の居る濡れ縁に戻ってきた。
その表情からは、先程、自分が仕掛けた可愛らしい悪戯にひとり赤面した様など綺麗に消えている。
濡れ縁に用意された円座に腰を落ち着け、二人はささやかな春の宴を愉しんだ。
未だ春浅き、冷たさを残す風が庭の梅の香を乗せ、二人に微かな甘さと清しさを運んで、優しくそよぐ。
それでも陽射しは仄かに柔らかく暖かく、博雅がうっとりと呟く。
「風は未だ冷たいが、段々に春めいてきているなあ。」
「そうだな。梅の花も今が盛りだ。どなたかが春の気配を携えてきたからかな?のう、わが佐保媛。」
「ん?何だって?」
晴明の何気ない言葉に博雅が訝しむと、不意にその手を摑まれ、晴明の腕の中に引き込まれた。
「わっ!こら、晴明っ」
晴明は博雅をその腕に抱え込んでくすくすと笑っている。
「いやなに、おまえがこの邸に春をもたらしたように思えてな。それでなくとも、おまえは常におれの心に春をもたらす。その優しい人為と温かい躯でおれの心を溶かし、春めいたものにしてしまう…」
言いざま、晴明は傍らの、酒が満たされた盃を手に取り、ぐいと呷ると、そのまま博雅の唇に寄せ、口付けた。
驚きに目を見開く博雅の下唇を優しく食んで促すと、躊躇いがちに唇が薄く開かれた。
晴明は其処から含んでいた酒を注ぎ込み、舌を潜らせて掻き回し、博雅の甘い咥内を存分に堪能した。
博雅も始めはされるがままであったが、その内拙いながらも晴明の舌に己のそれを絡ませ、懸命に応えようとした。
長く甘い口付けが解かれた時にはもはや博雅の息は上がり、晴明に縋りつく様になっていた。
「博雅、躯が春めいておるぞ」
「…ばかっ。」
晴明は楽しげにくすくす笑いながら博雅の、力が入らぬ躯を抱き上げ、奥へと消えて行った。
「あん…、あ、ああ…っ」
御簾が降ろされた部屋の内。
幾重にも巡らされた帳の蔭から甘く掠れた響きの聲が密やかに漏れる。
晴明の膝の上、博雅は晴明の胸に背を預け、自らの最奥、蜜が溢れる秘所に逞しいものを受け入れていた。
晴明が腰を揺らす度言い様の無い甘い快感がじわりと広がり、もっとと強請るように男のものをきゅっと締めつけてしまう。
晴明も熱い吐息を漏らし、博雅の、汗でしっとりと潤う肌に指を這わし、胸に辿り着いてその愛らしい蕾をきゅ、と摘む。
「あんっ」
博雅が小さく啼き、背を撓らせた。
「此処の蕾も綻んでおるな。」
「や、ば、か…」
恥じらいながらも博雅は晴明の悪戯をそのままにさせている。
晴明との睦み合いがこの上ない悦楽を齎す事を躯が覚えている。
いや、晴明に拠って覚えさせられてしまった。
だが、それは肉の快楽のみではない。
何よりも好いた相手との睦み合いだから、触れ合う事が心地よく、嬉しい。
愛しい男が自分を愛してくれる。
それが躯と心にこの上ない高揚を齎す。
それが晴明で良かった。
博雅は心からそう思う。
「博雅、何を考えておる。」
「あうっ!」
晴明が博雅の胸の蕾を爪で弾き、片方の手を下肢に滑らせ、その中心をを強く扱く。
「腰の動きが止まっておるぞ。こちらが疎かになるほど何に気を取られていたのかな」
博雅の耳たぶを優しく食みながらそっと囁き、両の手で其々胸と下肢を弄りながら腰を使って下から突き上げる。
「あ、んん…お、まえの事だ…」
「おれの…?」
「おまえと睦み合うのがこんなにも心地よいのは…おまえだからだ…おまえを好いておるから、おまえもおれを好いていてくれるから、
おまえに触れられるのがこの上ない愉悦となるのだ…おまえは、どうなのだ…?」
「訊くまでもない…」
晴明が博雅の顔に唇を寄せ、そのまま深く口付ける。
「んん…っっ」
舌を絡めてくる晴明に博雅も、懸命にそれに応え様と、拙く絡め返してくる。
博雅の口内を貪りながらも晴明の手は博雅の腰を掴み、不意に激しく突き上げた。
「あうっっ」
堪らず博雅は口付けを解き、不意の刺激に甘く啼く。
晴明はそのまま腰の動きを更に激しいものに変え、ひたすら博雅の内を抉り、貪る。
その度に肌を打つ音と、湿った水音に空気が混じって、何とも猥らに響く音とが重なり合って閨に響く。
「ああんっ!あ、あ、ああっっ」
博雅も余りの愉悦に我を忘れ、晴明の動きに合わせる様に自らも腰を揺らし、ひたすら啼き続ける。
鶯の囀りよりも、尚妙なる響きの啼き聲は、夜通し止む事は無かった。
何処からか鳥の囀りが聴こえる。
博雅はそれが夢なのか、とも思ったが、確かめたくて目を開けようとする。
瞼の裏に柔らかい光が感じられる。
と、不意に瞼にくすぐったい様な感触を受けた。
くすぐったくて何だか心地よい。
それが離れると、博雅はゆっくりと瞼を開いた。
すぐ目の前には晴明の、怜悧に整った美しい顔。
普段は神秘的に感じる、透明感のある美しい瞳に柔らかな光が差し込んでいる。
その瞳が僅かに細められて優しく博雅を見詰めていた。
それに博雅が見惚れていると、今度は頬に晴明の唇を感じた。
先程、瞼に感じたものはこの唇だったのか。
博雅は無性に嬉しくなり、晴明に甘える様に擦り寄る。
「博雅、躯は平気か?昨夜はつい我を忘れた。無理をさせたのではないか。」
「いや、大丈夫だ。おれもそれを望んだのだから。何だか、今はとても幸せに思えるのだ。」
「そうか。それは嬉しいな。」
晴明は更に博雅を抱きこみ、小鳥が啄ばむ様な口付けを博雅の顔中に降らす。
「こら、くすぐったいぞ。」
くすくす笑いながら、博雅は、それでも晴明を止めようとはしない。
暫く、二人でそうやって、情事の後のじゃれ合いを愉しんでいた。
と、微かに鳥の囀りが耳に届いた。
それは、鶯の囀りだった。
「おや、もう鶯が鳴くか。」
「ああ。今、庭の梅に止まっているぞ。夜が明けた頃から鳴いている。」
「ほう。やはり、鶯の囀りを聴くと、やっと春が来たのだなあ、と実感するよ。」
「おれにとっては。おまえがいれば常に春を感じているさ。」
「え?」
「閨で囀るおまえの妙なる啼き聲は、鶯よりも更におれの心と躯に春を齎して煽りたてるからな。」
「ば、ばかっ」
博雅は瞬時に顔を紅く染め、それを見られまいと、晴明の胸に埋めてしまった。
「ふふ、我が佐保媛はまこと愛らしいな。さあ、機嫌を直してくれ。共に鶯の妙なる声を聴こう。」
博雅が、おずおずと顔を出し、ぼそりと呟いた。
「…鶯の、だろうな。」
「おや、まだ自分では啼き足らぬか?ならば幾らでも啼かせてやるが?」
「ち、違うっ!もう啼くのはごめんだ!おれは鶯の声が聴きたいのだ!」
「分かっておる。冗談だ。ふふ、そんなにむきになって顔を紅くして。」
ちょん、と博雅の紅く染まった頬を突付くと、むう、と悔しそうにこちらを睨んでふくれる。
「いや、すまぬ。おまえが余りに愛らしいのでな。ちとからかい過ぎた。さあ、今度こそ鶯の声を聴こう。」
「うん。」
そのまま、二人は褥の中で寄り添い、春を告げる御使いの、妙なる囀りを暫く聴き入っていた。
翌日。
結局博雅は参内出来なかった。
躯が怠く、思う様に動かない事もあるが、昨夜散々啼かされた御蔭で、声が掠れてしまっていた。
そのまま晴明の邸に留まり、再び濡れ縁で花見の宴を愉しむ晴明の、心なしか御機嫌な横顔を、博雅は些か膨れた
顔で睨む。
「随分と御機嫌だな。」
「それはそうさ。心地よい春の陽気に見事に咲き匂う梅花、妙なる鶯の囀り、そして傍らには愛しの君。これで気分が良くなかろう筈はない。」
「おれは躯が気だるいし声まで掠れているのだぞ。」
「おまえも望んだのではなかったかな?」
ちらりと己を見遣る晴明の流し目に、博雅は頬を染めてうっと詰まる。
「まあ、今はこの春の宴を愉しもうではないか。」
ぐい、と博雅を引き寄せ、後ろから抱き抱える。
「おまえと飲む酒だからより甘露だし、花も一際美しいのだ。知っていると思うたがな。」
「…ばか。」
耳元で囁かれた言葉に真っ赤になる博雅は、晴明には極上の甘露となるようだった。
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