桜夢 はなゆめ




晴明と博雅の目前で、はらはら、はらはら、と花弁が舞い落ちる。
ある、麗らかな如月の良き日。
晴明と博雅は、今が盛りの桜を楽しもうと、車に乗り込み、やや人里離れた、目前に山が連なるなだらかな丘の上に居た。
其処に聳え立つ、一本の桜の大樹の下に敷物を敷き、酒肴の用意を整え、ささやかな宴を愉しんでいた。
ほう…、と博雅が息を吐く。

「しかし見事なものだな。向こうの山肌が桜で薄らとけぶる様に染まっている。この辺り全てが、大気までも桜の色に染め上げられているようだ。」
「うむ。これ以上の見物な中々あるまいな。正に人智の及ばぬ美しさ。なんと満ち足りた今である事か。」

と、博雅の、酒を満たした盃に、ひらりと一片、桜の花弁が舞い落ちる。

「おお、花弁が酒に。」

嬉しそうに博雅は盃を干す。
次第に酔いを帯びてきたらしい博雅の、ほう…と吐く息までも何処か甘やかだった。
白い頬がほんのり染まり、熱く潤む瞳がちら、と晴明を見遣る。
思わず、晴明はその白い繊手を伸ばし、博雅の頬に触れた。
晴明の、冷たく感じる掌の感触が、火照った頬に心地よい。
博雅はうっとりと目を閉じる。
伏せられた瞼の、睫が長く影を落とす様に、晴明は惹かれる様に博雅に口付ける。
伏せられた瞼に、額に、頬に、酒に濡れた、ふっくらとした唇に。
薄く開いた狭間から舌を忍び込ませ、酒の為か、甘く感じる舌を絡めとり、酒精を帯びた吐息ごと奪う様に深く口内を貪る。
口付けが解かれた頃には、博雅は敷物に横たえられていた。
その上には晴明の熱を帯びた体。

「酔うているのか?」
「ああ、酔うている。桜と、酒と、おまえに…」

はらり、とまたっ一片、花弁が落ちた。

「あ…っ」

桜の花弁が帳の様にひらりひらりと舞い落ちる。
大樹の下、密やかな、どこか甘やかに掠れる聲が途切れがちに漏れる。
桜萌黄の狩衣が乱され、博雅はその肌に晴明の愛撫を受けていた。

「あっ、」

びく、と背が撓る。
露わになった胸元に晴明の唇が降り、その、紅く染まった愛らしい蕾に舌を絡ませ、口中に含んだ。

「あっ、ん、」

白い喉元を反らせ、博雅が愛らしく啼く。
その聲に晴明の情欲は更に昂ぶり、博雅の胸元を唇で苛みながらも、その手をするりと下に降ろし、指貫の紐をするりと解く。
その隙間から手を差し入れ、中のものに直に触れた。
思わず博雅が息を詰める。
晴明の繊手はゆっくりと優しくそれを扱き、次第に動きを強く激しいものに変えていった。

「あっ、あ、あんっ…」

堪え切れず博雅は甘く啼き、晴明の手の動きに合わせる様に腰を揺らめかす。
その様に晴明は喉をごくりと鳴らし、指貫を一息に引き摺り下ろした。

「やっ…!」

思わず博雅は脚を閉じようとしたが、晴明はそれより早く博雅の膝に手を掛け、左右に大きく押し広げた。
その中央、下肢の間で手淫によって勃ち上がりかけた陰茎がひくひくと震え、蜜をたらたらと噴き零している。
惹かれる様に晴明はそれに顔を寄せ、ちゅ、と口付けると、一息にそれを口に含んだ。

「ああっ!」

思い掛けない刺激に博雅の喉が反らされる。
晴明は口の中で脈打つものをしきりに舐めしゃぶりながら、時折、その下で膨らむ二つの珠をも舌で転がし、更に唇を下に寄せ、会陰をも舐め上げる。
そして口淫を施しながらも手をそろそろと下肢に這わせ、揺れる下肢の奥、密やかに息衝く秘孔に指を這わせた。

「ひ、」

びく、と博雅の下肢が揺れる。
晴明はその秘孔を指で擦りながら陰茎に舌を絡ませ、会陰をも弄り、指を時折、秘孔につぷり、と入れてみた。

「ああ、あ…」

博雅は下肢に与えられる刺激と悦楽に躯が蕩け、しきりに甘く啼いて躯を震わす。
そうする内に晴明が指で弄っていた蕾がゆるゆると柔らかく解け、しっとりと湿りまで齎す程になってきた。
それを見て取った晴明は更に指の本数を増やして突き入れ、ぐちゅぐちゅと掻き回す。

「ああ!あっ、はあっ…」

博雅は堪らず躯を仰け反らせて喘いだ。
躯の感覚が最早自分のものではないようだった。
博雅が喉を反らせて見上げた先には、けぶる様な、淡い桜の色した花霞。
其処からはらりはらりと花弁が舞う様に降りてくる。
この下で睦み合う二人の上にも。
その花弁が博雅の、露わになった肌の上にも降り掛かる。
白い肌に一片、二片、花弁が落ちていく。
晴明は博雅の下肢から顔を上げ、その様を眺めていた。

うっすらと上気した白い肌を薄紅の花弁に彩られた博雅は、どこか、この世を離れたもののようで。
天に住まうものとはこのようなものか。
そう思わせる程に美しく、だが、晴明の欲を更に掻きたてる。
天に住まうものを堕として、己に、地に繋ぎとめる為に。
自分を残して天に帰ってしまわぬように。
晴明は自らの指貫の紐を解いた。

「あああっっ」

博雅が更に高い聲を上げる。
晴明の猛りきったものが秘孔を貫いていた。
いつもより性急に、強引に博雅を突き上げる。

「やああっ!あ、あっ…、せ、いめいっ」

博雅は必死に晴明に縋り付いていた。
強く激しい突き上げに、躯が何処かに持っていかれてしまう様な危惧さえ覚えた。
それでも、博雅の蕾からはしとどに蜜が溢れ、奥の肉の壁が男のものに絡みつき、誘い込む様に蠢いてさえいる。
晴明は荒く息を吐きながらも、そんな博雅の媚態に薄く笑う。

そう、おまえはおれのものだ。
おまえが天に住まうものであっても、最早おれからは逃れられぬ。
おれによっておまえはすっかり造りかえられてしまったのだから。

辺りの山肌まで花霞にけぶる山里の桜の大樹の下、飽く事なく絡み合う二人の上に、ただ、はらはらと、帳の様に花弁が音もなく
舞い落ちていた。
観るものは、ただ、桜のみ。

数刻の後、甘く激しい情事の余韻を味わう様に二人は抱き合って桜を眺めている。
博雅がうっとりとした眼で晴明に凭れ、桜を見上げた。

「しかし凄いな、この桜は。」
「うむ。相当齢も重ねているのであろうな。これが最後の狂い咲きなのかもな。」
「それではこの桜は最早朽ちてしまうのか。勿体無いな。このように見事な木であるのに…」

博雅の瞳が僅かに眇められる。

優しい漢だ。
晴明は愛しげに博雅を見詰め、その瞼に口付ける。

「なに、この桜も案外思いを残す事なく朽ちていくかも知れぬぞ。思わぬ見物があったからな。」

博雅はその言い草にきょとん、としたが、晴明の妖しい笑みにその意味を察した。
つまりは先程の情事を言っているのだ。

「な、ば、ばかものっ!!」

博雅は真っ赤になって晴明の腕の中でじたばたと抗うが、晴明はくすくす笑って博雅を抱き締め、動きを封じる。

「おれは忘れぬぞ。この様な美しい処でおまえと睦み合った。当分は夢に見るやも知れぬな。」

晴明は博雅の顔中に降る様な口付けを落とし、優しく博雅を見詰める。
その表情に、博雅の頬が知らず熱くなり、再びぽすん、と晴明の胸に顔を埋めた。

「おれも…忘れぬ。今日の事を、おれも夢に見たい…夢でもおまえに逢えるなら、おれは嬉しいから…」

博雅の黒目がちの瞳が熱く潤んで晴明を見上げている。
晴明は何も言わず、ただ、腕の中の愛しい躯をきつく抱き締め、甘く熱い口付けを目前の柔らかい唇に施した。

はらりはらり、と薄紅の花弁が舞う。
花の帳に二人の秘め事を隠してしまうように。
                                                          
その日から幾日かが経ち、博雅は自邸の私室でぼんやりと脇息に凭れかかっていた。
その目はとろんと半ば閉じかけ、うとうとと微睡んでいるようでもあった。

あの日から毎晩夢を見た。
あの、桜に霞む山里での花見の夢を。
決まって夢の中でも二人は睦み合っていた。
桜襲の狩衣を纏った晴明が自分に触れ、熱く激しく自分を掻き抱き…
はっと博雅は我に返った。
途端に顔がみるみる紅く染まっていく。
「な、なんという事を…」
これではまるで、自分がとんでもなくはしたないものの様に思えて、博雅は落ち着かない。
そうして一人悶々として、夢を見た後も眠る気になれず。

ここ数日、些か寝不足気味だった。
その為か、食も進まない。

「との。」

その声に博雅は慌てて振り返る。
御簾の向こうに家人の俊宏が控えていた。

「夕餉の支度が整いましたが…」
「いや、今日はいい。あまり食べたくないのだ。」
「またそのような…ここ幾日か、とのはそう仰って食を摂られませぬ。少しはお召し上がりになりませぬとお体を壊します。」
「すまぬ。だが、なあ…どうも食欲が湧かぬのでなあ…」
「との…」

心配そうに俊宏が博雅を見遣る。
御簾の向こうから伺える主人の面は、心なしか些かやつれている様にも見える。
顔色もどことなく良くない様に思える。

「との。ここ幾日か、夜もあまりお休みになられていない様にお見受け致します。如何でしょう、安倍晴明様にご相談なされては?」
「晴明に…?」

毎晩見る夢を思い出して博雅の頬が赤らむ。
それに俊宏は目を留めたが、見ない振りをした。

「晴明様であればとののお悩みを、解いて差し上げる事も或いは出来ましょう。どうか、是非、お話されて下さい。とのがそのようなお姿ですと、この俊宏も心安らかではいられませぬ。」
「俊宏…」

改めて忠実な家人を見遣ると、俊宏は眉根を寄せてじっと主人を見据えていた。
心から己を案じてくれている家人の姿に博雅の胸が痛む。

「…わかった。では早速に晴明の許へ参ろう。」
「是非そうなさいませ。では、すぐにでも御支度を。」

この時ばかりは晴明を苦手に思う俊宏も、背に腹は変えられぬとばかりにてきぱきと博雅の支度を整える。
博雅は、それを意外に思いながらも、大人しく身を任せていた。
晴明嫌いの俊宏がこうまでするのだから、余程心配を掛けているのだ、と思うと申し訳なくさえ思えた。
支度が整い、徒で行く、と言う博雅に無理矢理車を用意させ、それに博雅を押し込めて俊宏はそれを見送った。
安堵しながらも、内心やはり落ち着かないままではあったが。

ごとり、ごとり、と車に揺られ、漸く晴明の邸に辿り着く。
博雅は車を先に帰すと、一人、邸の内に入り、相変わらず山野の如くな庭を突っ切り、いつもの濡れ縁へと辿り着いた。
其処にはいつもの様に晴明が濡れ縁に片膝を立てて座り、こちらを眺めている。
手元には既に酒肴の用意がされてあった。

「おう、晴明。」
「久方ぶりだな、博雅。」

にやりと晴明が意味ありげに薄く笑う。
それに博雅の頬が僅かに染まった。
唐突に、あの日の花見の宴を思い出し、また、此処に来た目的が、嫌でも博雅に羞恥を煽る。

「ふふ。まあ、上がれよ。」
「あ、ああ…」

俯いたまま大人しく濡れ縁に上がる博雅を、蕩ける様な眼差しで眺めていた晴明だが、ふと、何処か違和感を感じた。
何となく、博雅の頬が心なしかいつもより白い様に見える。
直衣の上からでは体の様子は判らないが、それでも、その纏っている直衣が大分ゆったりと感じられるのは、その下の体が痩せてしまっているのか。
それなのに、その博雅からは匂い立つ様な、と言っていい程、艶を感じるのである。
それに、何処となく気配を感じる。
何か憑いているのだろうか。晴明の目が眇められる。
濡れ縁で盃を手にした博雅に酒を注ぎつつ、晴明はさりげなく尋ねてみた。

「博雅、今日は酒を呑みに来ただけではあるまい?何か、訊きたい事でもあったか。」
「あ、ああ…」

博雅は一瞬躊躇ったが、そのまま盃を干し、ぼそぼそと語りだした。

「いや、大した事ではないのだが…俊宏が心配するのでな。この頃、食があまり進まなくてな。」
「体の具合でも悪いのか。」
「いや、そんな事はない。ただ、少し寝不足なだけだ。」
「…夢見でも悪いのか。」

途端、博雅の頬が朱に染まる。

「…ほう。」

にやりと晴明は笑った。

「おれの夢でも見るのか。」
「あ、いや、その…」

口をぱくぱくさせる博雅に晴明がす、と近寄り、その頬に手を掛けた。

「夢でおれはおまえに何をしていた?夢の中でおれはおまえをどのように可愛がっていたのだ…?」

晴明の瞳が博雅を捉えた。
その美しい瞳に見据えられると、博雅は体が動かなくなってしまう。
成す術もなく、晴明の瞳に捕らえられてしまう…
晴明の指がす、と動いて博雅の頬から唇を辿り、その柔らかな唇をゆっくりとなぞった。

「なあ、博雅…?」
「あ…」

その仕種だけで博雅の瞳は潤んで、何も考えられなくなってしまう。

「晴明は…桜の下で、桜襲の狩衣を纏った晴明は、あまりに美しくて…その指がおれに触れるだけで、おれは…」
「あの、山里での花見の時か…?」
「ああ…遠くの山肌が桜でけぶる様に霞んで…見上げると桜の大樹から花弁がはらはらと舞い落ちて…
その下でおれを見詰める晴明は、桜襲の狩衣がこの上なく美しく映えて、桜の花が人の姿を取っているようにも思えた…」

どこかうっとりと、夢の内容を語る博雅とは対照的に、晴明の表情が険しいものになっていく。

「妙だな。」
「晴明?」
「あの時、おれが着ていた狩衣は桜襲などではない。その日、狩衣の下に纏った袿は青いものだった。桜襲になるわけはない。…おまえ、食も進まぬと言っていたな。もしや、何かに憑かれたか。」
「え…?」
「実はな、おまえが此処に来た時、何かを感じたのだ。至って微かなものだが…何かの気配を感じた。博雅、今日は泊まれ。おまえのその夢が何に拠って齎されているのか、それを突き止めよう。」
「え…?で、では、おれはどうすれば…」
「おまえが眠る間際、必ず何者かがおまえに近付く筈だ。そこを押さえる。今宵は此処で寝ろ。いいな?」
「あ、ああ。」

博雅は戸惑ったまま、取り敢えず晴明の言葉に頷いた。
あの花見での甘い記憶が夢となって表れたのかと思っていたら、実はそれこそが何かに衝かれて見せたものだという。
博雅が戸惑うのも無理はなかった。
不安な面持ちの博雅に晴明は優しく笑いかけ、その体を柔らかく抱き締めた。

「案ずるな。おまえに害を為すものは全ておれが祓ってやる。そうして、全て片付いてから、ゆっくりとおまえと宴を愉しもう。暫くは物忌みだ。よいな?」

ふ、と流し目で微笑まれ、その意味に気付いた博雅は、ひたすら真っ赤になって俯いていた。
その宵、博雅は晴明の邸の寝所に横になっていた。
が、晴明は共に横にはならず、狩衣を着たまま、その枕元に端座している。
褥に横たわって、何処か不安げに自分を見上げる博雅に、晴明は安心させる様に微笑んで、その頬に手を添える。

「大丈夫だ。おまえはおれが必ず護る。大丈夫だから今は眠れ。」
「ああ。おまえがいてくれるなら、おれは大丈夫だ。」

晴明が力づける様に博雅の手を握ってやると、博雅はそれで安心したかのように目を閉じ、やがて細い寝息が微かに聴こえだした。

それから数刻が過ぎ、晴明は何かの気配を感じ、袖の中に手を潜めて印を結ぶ。
すると、その姿が途端に消えた、ように見えた。
と、何かが寝所に入った気配がする。
それは、人の姿をしていた。
晴明はその姿に、目を見開く。
それは、桜襲の狩衣を纏った、自分そのものの姿だった。

博雅が夢に見たのはこれだったのか、と晴明は悟った。
だが、そのものからは特に禍々しい気配は感じられない。
といって人でもないようだった。
ふわり、と何かの香が漂う。
それは、何かの花の様な、木肌の清しい香の様な…
晴明の邸には悪しきものを弾く結界が施されている。
常に清浄に保たれている邸の内には、悪しきものや主の意に染まぬものは入り込めない。
だが、この、自分の姿を映したものは、容易くその内に入り込めた。
鬼や妖のたぐいではない。
そのものは、博雅の枕元に座ると、そのまま顔を寄せ、その、薄く開かれた、ふっくらとした唇に己のそれを寄せようとした。

「そこまでにしてもらおう。その男に触れるな。」

晴明が凛と言い放つ。
結んだ印を解いて姿を現した晴明を、そのものは穏やかに見詰める。

「ほう。陰陽師か。私は別にこの者に害を為そうという訳ではないぞ。」
「だが、そのつもりは無くとも、現にその男は幾許かの陽の気を奪われている。おまえがその男の夢に入り込んでその男に触れるからだ。それだけでも赦し難い。
その身、魂魄共に散らされたくなければ疾く、立ち去れ。そして、二度とその男に触れるな。」
「ふん…おまえはこの男が愛しいと見える。この男もそうであるようだな。私がおまえの姿を借りただけで、夢の中で、この男は容易く私を受け入れた。私も、ほんの一度だけのつもりだった。
あの日、おまえ達が私の目の前で睦み合った時、あの時に見せたこの男の姿が忘れられなくて、一度だけのつもりが、一度触れると、また触れたくなる。あの姿が見たい。あの聲が聴きたい。私は、どうかしてしまったのか。一人の人間に、何故、ここまで…」

そこで、その晴明の姿をしたものは俯いて、じっと横たわる博雅を見詰めていた。
その眼差しは何処までも強く、真摯で、晴明は、このものが博雅に恋焦がれている事を悟った。
と、眠っていた筈の博雅の瞳が微かに震え、ゆっくりと瞼が押し上げられる。
数度瞬きを繰り返し、首を巡らせた時に、目に映ったのは二人の晴明。
その内の、桜襲の狩衣を纏った晴明を認めた途端、博雅の頬が鮮やかに染まる。毎夜、夢の中で、自分と秘めやかな逢瀬を交わした記憶がまざまざと蘇る。

「博雅…」

咄嗟に晴明が博雅の傍に寄り、その体を抱き起こして己の腕の中に抱きとめる。
この状況に、博雅は気が動転しながら晴明に訊ねた。

「晴明、これは一体…?あちらの晴明は何者なのだ…」
「あれは、恐らく桜の木精だ。あの日、桜の下でおれと睦み合うおまえの姿が忘れられなくて、おまえの夢の中に通っていた。」
「それは…」

博雅は晴明の腕の中から、もう一方の晴明を見遣る。


「あなたでしたか、夢の中で逢っていたのは…」
「…そうだ。あの日見た、おまえの姿が何故か忘れられなくて、ただ、もう一度、おまえに逢いたかった。おまえの姿を見たかったのだ…」
「…そう、でしたか…」

博雅は、ただそのものを眺めている。
その瞳が、痛ましい様に眇められた。

「だが、もういい。私は、あのままあそこで、静かに朽ち果てる筈だった。ただ、其処に在るままに、幾度も花を咲かせ、葉を茂らせ、
落とし、…静かに朽ちていく筈だった。初めてっだった。こんなにも一つの想いに捉われたのは。しかも、それが人であるなど。だが、もういい。想いは叶った。もう、おまえの夢に現れる事はない。まあた、あそこに戻って、朽ちる刻を待とう。」
「待って…」

博雅が晴明の腕の中から呼び止める。
「私は、あなたに何もしてあげられないけれど、せめてあなたを慰めたい。あなたの為に、せめて私の笛を…」

博雅は、晴明から体を離し、枕元の葉双を手に取った。

「お前の得手は笛なのか。」
「はい。拙い手ではありますが、せめて一曲、あなたの為に吹きましょう。」

博雅は静かに笛を唇に当て、息を吹き込んだ。
そろそろと、零れる様に妙なる音が響き渡る。
それはゆっくりと、優しく、春の陽射しを思わせる様に、包み込むような調子だった。
暖かく、優しく、包み込むような響きは春そのもの。
春という時期が音となって現れ出るような。そして、それは博雅の心そのものだった。
その心を、桜の木精も確かに感じ取っていた。
不意に、その目が霞む。
いつか、その両の瞳からは、はらはらと涙が零れ落ちていた。
それに、狼狽した。

人の奏でる笛の音に、木精である自分がここまで心を揺り動かされようとは。
だが、涙を止めようとは思わなかった。
ただ、はらはらと零れる儘に涙を流し、変わらず笛の音に聴き入っていた。
それを、晴明もただ、眺めていた。
やがて曲が終わり、博雅が笛を離すと、桜の木精は涙を流したまま、博雅に向き直った。

「おまえの心は解った…ああ、このような音があろうとは…私は、今迄こんな音は知らなかった。そして、おまえのような人の心も。
おまえに逢えて良かった。ただの一本の桜に過ぎない私に、おまえはなんと美しい心を注いでくれた事か…もういい。
これで静かに朽ちていける。せめて、おまえから心ならずも奪ってしまった陽の気を還そう。」

桜の精は博雅の手を取り、静かに瞑目した。
と、そこから暖かい何かが博雅に流れ込み、体が軽くなっていく様だった。
その頬にも徐徐に赤みが差す。
それとは反対に、桜の精の姿が次第に朧に霞んでいく。
と、何処からか桜の花弁もひらひらと舞う様に降り始めた。
桜の精が最後に一言、何かを呟いた。
それは、微かだけれども、二人の耳には「ありがとう」と聞こえた気がした。
段々に木精の姿が朧になり、やがて、雪が降る様に桜の花弁が舞う中、その姿は完全に消えてしまった。
暫く博雅は其処に立ち尽くしていたが、傍に寄った晴明に声を掛けてみる。

「なあ、晴明。あれは夢だったのかな…これはまだ夢の続きだろうか。」
「さあてな。だが、これで、おまえは夢の中で、桜襲の狩衣のおれとは逢瀬を交わす事は無くなったわけだ。」

途端、博雅の頬が鮮やかに染まる。

「さて…」

晴明は一言呟くと、そのまま博雅を褥の上に押し倒した。

「今度は夢の中ではなく現で、生身のおれの相手をしてもらおうか。夢よりは現の方が好いのだと、じっくりと教えて差し上げよう。」
「あ…」

晴明の美しい、底光りのする瞳に見詰められ、博雅は酔ったかの様に体から力が抜けていった。

夜も深まり、朧に霞んだ月が中天に差し掛かり、その柔らかな光すら遮る様に閉ざされ、立て回された几帳の蔭で、秘めやかな聲が漏れる。
帳に映るは、絡み合う二つの人影。

「は、あん…せい、めい…、は、あ…」

甘く濡れた聲が其処から絶え間なく漏れる。
博雅は下肢に晴明の愛撫を受けていた。
大きく開かされた下肢の狭間の奥の蕾に、ぴちゃぴちゃと音を立てて舌を這わす。
と、不意に晴明が身を起こし、何時の間にか傍らに置いてあった盃を手に取った。
それには酒が満たされている。
晴明はそれを片手に、更に博雅の脚を掲げて奥の蕾を露にした。
其処に、手に取った盃から静かに酒を注ぐ。

「ひあっ…」

その冷たさに博雅の躯がびく、と跳ねる。

「冷たかったか?なに、すぐに熱くなる。」

晴明はまた顔を寄せ、其処に注がれた酒を味わう様にぴちゃぴちゃと舐めだした。

「ひあっ、あ、い、やあ…」

博雅の聲は更に甘ったるいものになり、絶えずびくびくと躯を震わす。
下肢の奥が熱く疼くのが解る。

「はあ!」
途端、びく、と高い聲を上げた。
晴明が其処に指を突き入れていた。

「これが欲しいのか?博雅…」
「あ…や…」

ぶるぶると博雅が首を振る。

「では、これか?」

晴明が更に指の本数を増やして掻き回す。
ぐちゃぐちゃと、湿った淫らな音が閨に響いた。

「あ、あ…晴明、が欲しい…」
「よく言えたな。」

明はにやりと笑うと、衣を緩めて自らに昂ぶったものを、博雅の、蕩けきった蕾に突き入れた。
「あああ…!」

待ち焦がれたものに其処が蠢き、男のものに熱く絡みつく。
晴明は低く呻き、博雅の脚を持ち上げて腰を動かした…
月が山の端に沈む頃まで、二人は熱に浮かされたかの様に、甘く激しい睦み合いを飽くことなく繰り返していた…
                                                          







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