桜幻想・日常 (晴博編)


晴明邸に奇妙な客人二人が来て暫く経つ。
今、その二人は帰る術が判明するまで、この邸の「式神」として働いている。
式神と言っても二人は人外の存在などではなく、れっきとした人だ。
式という名目を与えただけで、実際は舎人か雑色のようなものだった。

夕刻、いつものように博雅が肴を手土産にぶらりと徒でやってきて、濡れ縁にてささやかな酒宴をこの邸の主と愉しんでいた。
傍らには、その奇妙な式二人。紅い髪の桜木花道と、黒髪の流川楓。
式という名目を与えたのは、花道の髪の色を慮っての事だった。

「今宵は虫の音が一際澄んで聞こえるなあ。秋も深まってきたのだな。おお、中天に差し掛かる月もあのように冴え冴えと美しい・・」

漆黒と言っていい程に深みを増した夜の大気の上空には、鋭くありながらどこかまろやかな優美さを備えたような眉月。

「確か初月(みかづき)を題詠に読んだのは大伴家持殿であったか・・」
「振仰けて若月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも だったかな。中々に情熱的・・というよりませているな」
「ませてる、とは何故だ?」
「家持殿がこの歌を詠んだのは初冠前。その時から他の女人に思いを馳せていたのさ。」
「ほう・・しかしそれは後に正妻となった従妹姫の事ではないのか?」
「そうであるかも知れんが・・或いはその母の坂上郎女殿であるかも知れんぞ」
「おい、その方は家持殿の叔母上にあたる方ではないか。」
「しかし郎女殿は美しく才気に溢れ、恋多きお方と聞く。そのような方が身近に居て、仄かに憧れを抱いてもおかしくはあるまい?」
「それはそうかも知れんが・・・」

ふと、ちらりと傍らを見遣ると、酌の為に侍っていた名目上の式の赤と黒の内、黒の流川が、瓶子を手に抱えたまま、ゆらゆらと船を漕いでいた。
と、思ったらその体が横にゆらあ、と傾ぎ、そのまま器用に赤の花道の膝にぽすん、と頭を乗せた。

「おい、ルカワ・・・」
「おやおや、子供はおねむらしいな。花道、部屋に連れていってやれ。ついでにおまえもそのまま下がっていいぞ。」
「でもよお、晴明、折角博雅が来てんのに・・おれ、もうちっとここに居たいよ。」

花道は拗ねたように下唇を突き出しながらも容赦なく膝に乗った流川の頭を振り落とす。頭が床に当たって鈍い音がした。
それでも流川はまだ目覚めない。恐るべき寝汚なさである。

「まあ、これよりは大人の時間、という事だ。子供はさっさと寝るんだな。おまえも眠そうだぞ。」
「ちぇ、何かっつうとコドモ扱いすんだからよ。オトナは汚えよな!」

花道が益々拗ねて上目遣いに晴明を睨めつける。
その表情こそが子供だと主張しているようなものだが、実はその表情が晴明も博雅も嫌いではない。
微笑ましさを感じて博雅が声を掛ける。

「まあまあ、花道。これでも晴明はおまえと楓を気遣ってこのような言い方をしているのだよ。おまえ、もう目が赤いではないか。吾等の話を聞いているのも退屈だろう?眠いなら遠慮しなくていいのだぞ。晴明も、そんな言い方では花道が益々拗ねるだけだぞ。」
「拗ねてなんかねーよ。でも、博雅がそこまで言うんなら・・・」

にこにこと微笑んで仲裁をする博雅には、どうも強く出られない。

(博雅ってメガネ君に似てっからなあ。そーいうのに弱ぇんだ、おれ。)

ふと、ここにはいない、自分の所属するバスケ部の先輩を思い出した。
バスケ部の飴と鞭の内、飴を担当する、穏やかで優しい、笑顔と気遣いが絶えない副キャプテン。
いつも花道を気に掛けてくれるこの三年生に花道も随分と懐いていた。
博雅はどこか木暮に似ている。顔立ちとかではなく、雰囲気が。
穏やかで、優しい笑顔が春の陽射しのようにほんわりと暖かくて。
自分を甘やかしもするが、やんわりと嗜めてくれたりする時なども。

(なんか、会いてえなあ。皆、どうしってかなあ・・・)

不意に、目頭がじんわり熱くなった気がして、慌てて目元をごしごし擦った。
泣いたと思われるのが嫌だった。二人には知られたくない。辛そうな顔をするだけだ。

「おい、花道、そんなに擦ると赤くなってしまうぞ。やはり眠いのだろう、寝んだ方がよいぞ。」

博雅が気遣わしげな声を掛ける。晴明は表情が伺えない。もしかしたら気付いているのかも知れない。

「ん、分かった・・んじゃ、もう下がるな。すまねえな、晴明、博雅。あ、博雅、今夜泊まるんか?」
「あ、ああ・・その、つもりだ・・・」

博雅が頬を染めて晴明をちらりと見遣る。泊まる、と言うことはつまり晴明と閨を共にする、という事で・・・

「んじゃ、明日の朝餉は博雅の分も用意するからな。じゃあ、お休み〜」

花道は立ち上がると、床に落とした流川の襟元を掴んでずるずる引きずりながら自分達の部屋へと下がっていった。
赤と黒の姿が見えなくなった、と見ると、晴明は博雅ににじり寄り、その手を取った。

「さて、子供を寝かせた後はこれよりは大人の時間だ・・・」

耳元で甘く囁く晴明に真っ赤になりながらも、博雅はこくりと頷いた・・・