桜幻想(はなのみるゆめ) 壱
満開の桜の下で、その人を見た。
柔らかな風に煽られて、はらはらと淡い色の花弁が舞う様に散る中、ぽつん、と佇んでいたのを、博雅はしかし、じっと見詰めていた。
人なのか?と初めに思った。
何しろ、その「人」はとにかく異彩を放っていた。
まず、髪が赤い。
それも、実に鮮やかな赤だった。
人が持つ色にしては鮮烈に過ぎる。
更に、ずば抜けて背が高かった。
博雅も割りと上背がある方だったが、この「人」に比べたら博雅はかなり見上げなければならない。
着ている服は黒かった。それに変わっている。
その長い手足に添う様に布地が少ない。
でも、動きやすそうだ、と暢気にも思った。
と、その人が不意に振り返った。
思わず目が合ってしまい、更に博雅は驚いた。
その人の目の色がこの国のものとしてはありえない程に淡い。
こんな色の瞳は、確か晴明もそうだったな、とまたのんびり思った。
多分、この国のものではないのだろう。
晴明が以前に話してくれた、唐より更に西に住まう人なのだろうか。
話し掛けて分かるかな?
しかし、それは叶わなかった。
その人が先に話し掛けたからだ。
「あの、ここ、どこ?」
更にのんびりとした問いがその人の唇から発せられた。
同じ頃、博雅の親友である安倍晴明も、この男には珍しく、些か途方に暮れていた。
それは、目の前のモノが原因だった。
晴明が、そろそろ訪れる筈の友の為に、何時ものように濡れ縁に酒肴の用意をさせて庭を眺めていると、突如、何もない空間からいきなり人が放り出されたのだ。
流石に滅多な事では動じない晴明もこれには驚かされた。
しかも、自分の結界内で、だ。
近寄って、足元に落ちていた木の枝で、それをつんつん、と突付いてみる。反応は無い。
生きてるのか、と危ぶんだが、微かに寝息が聞こえる。
どうやら寝ているようだ。
大した神経の持ち主だ。取り敢えず、すぐに起きそうな気配はないので、それが目覚めるまで待つ事にした。
暫く眺めていると、それがもぞもぞと動き出し、ビクッ!と一瞬体を震わせてゆっくり顔を上げ始めた。
ボーッ・・・と、まだ夢と現を彷徨っている様な、半分目が据わったままで、焦点の定まらぬ目付きをしているその顔は、意外に秀麗だった。
それから、何かに気付いたのか、辺りをきょろ、と見廻し、ぼそり、と呟く。
「・・・どあほうがいねえ・・・」
何となくその様がケモノじみて面白いので、晴明はそのままその男を眺めていた。
面白い見物が出来た、位にしか思っていないのかも知れない。
「どあほう・・?どこだ?」
その男はのっそり立ち上がると、晴明の目の前で庭をうろうろし始めた。
晴明は、軽く目を見開いた。
男が余りに巨人(・・・)だったので、驚いたのだ。
流石に晴明も、この国の人で、こんなデカイ人間は初めて見た。
しかし、男は至って普通の人間だ。(見掛けは)
着ているものこそ変わっていたが。
何となく、以前文献で見た、唐より更に西の、俗に胡と呼ばれる地方の人が着るものに似ている気がする。
放たれる気も、人のそれである。どうやら人外のものではなさそうだ。
そこで、男がくる、と振り返り、はた、と晴明と目が合った。
・・・途端、二人とも嫌そうに顔を顰めた。
或いは、同族嫌悪だったのかも知れない。(二人共にキツネ顔)
その男・・・流川が口を開いた。
「ここはどこだ・・・?どあほうはどこだ・・・」
「・・それはおれに訊いているのか?此処はおれの家だ。どあほうとやらが何者かは知らんが、此処にはおまえ一人しかおらんぞ。
おまえはいきなりこの庭に現れたのだ。何も無い処から放り出された様に見えたがな。」
「なに・・・?」
流川の目が見開かれた。・・・やっと目が覚めたらしい。
「どあほう・・どこだ?」
ふらふらと流川は庭を歩き、門の外に出ようとするが、出れなかった。
門を潜った筈が、また門の前に立っているのだ。
「おまえの様な怪しげなものにそこら辺をうろつかれるのも考え物だ。まあ、出て行くなら止めはしないが、それなら陽のある内ではなく、夜が更けてからにしてくれ。」
その言い分が勘に障ったのだろう。流川は晴明をぎろ、と睨むと、
「・・・誰だ、てめえ・・」
「今になってそれを訊くか。なら、自分からまずは名乗ることだな。」
「てめえなんぞに名乗る必要はねえ。」
「ならおれも名乗れんな。」
再び、両者の間に火花が散る。
徹底的に気が合わないらしい。
お互い我が強く、他人に指図されるのが嫌いで、妥協も譲歩もあまりよしとしない性格だった。
更なる共通点は、どちらも心の底から惚れぬいた恋人(・・・)がおり、その恋人が殆ど唯一の弱点ともなり得る、という処である。
さて、その(迷惑なことに)心底惚れられた互いの恋人は・・・