夏薔薇
暑い夏の一日も終わろうかという頃。
博雅は、何時ものように晴明の邸でこの家の主と酒を酌み交わしている。
日中があまりにもうだるように暑かった為、涼しい風の出る夕刻にやってきたのだ。
ふと、杯を運びながら庭に目を遣ると、見た事のない紅い花が目についた。先日には無かった花だ。
「晴明、あの紅い花は何というのだ?初めて目にするが…」
「あれか。あれは、薔薇というのだよ。」
「そうび…?」
「そうだ。元は唐土から渡ってきた花だ。変わった花だろう?」
その花は、形や色が椿に近いようにも見えるが、花弁が多く、何よりその真っすぐに伸びた茎に無数の刺がついていた。
あまりの珍しさに、博雅は庭に下りてその花を近くで眺めている。
傍に寄ると、甘い芳香が鼻を擽る。
その微かな甘さも他の花には無いものだった。もっとその香を感じたくて、つと手を延ばす。
「博雅、それにあまり触れぬがよいぞ。刺が刺さるからな。」
「え?」
博雅がきょとんと振り向くが、既に手が花に触れてしまっていた。
その拍子に、鋭い刺が博雅の指を刺す。
「痛っ…!」
慌てて花から離れ、刺した指に唇を当てる。
「だから言ったのだ。博雅、こちらへ来い。」
晴明に呼ばれて戻り、促されるままに刺した指を晴明に見せる。
「楽を奏でる大事な指なのだからな。気を付けねばな。」
不意に、指先を生暖かい感触が襲った。
晴明が、指を口に含んだのだ。
「せ、晴明…」
博雅の背筋にぞくり、とした感覚が走るが、それに耐えて指を晴明から離そうとする。
「大人しくしておれ。舐めた方が治りが早いのだ。」
博雅は、顔を紅くして戸惑いながら抗議する。
「だから、お前がせずともっ…!」
「構わぬ。おれがしたいのだからな。」
「なっっ…!」
晴明が紅を刷いたような唇に自分の指を含み、時折舌を出してぴちゃりと舐める様は、妙に淫靡で、見ていると何だか恥ずかしく、背筋を襲う感覚にも耐えるのがやっとだ。
すると、不意に腕を引かれ、晴明の腕の中に倒れ込んでしまった。
「こら、晴明…!」
慌てて腕の中から抜け出そうとすると、再び腕が絡み付いて余計に強く抱き込まれてしまう。
仕方なく、大人しく腕の中に納まっていると、晴明の白い美しい顔が迫り、博雅の耳元に口を寄せて囁く。
「薔薇はな…色に意味があるのだ。此処より遥か西ではな、紅い薔薇は求愛の印という。お前はその刺に触れたな。」
一瞬、博雅は呆然としたが、目の前の晴明が柔らかに微笑み、その瞳が真摯な光を帯びているのを察して、博雅はいよいよ頬が熱くなっていった。
「ばか…」
晴明の胸に顔を埋めてしまった博雅を優しく見やり、その顔に手をやり、上を向かせる。
「おれは何時でもお前を求めてやまないのだよ。あの花を使わなくともな。だが、あの花はおれの心、という事にしておこうか。」
目の前の晴明の笑みはこの上なく美しく、それに見惚れるうちに、博雅の柔らかい唇に晴明の唇が重なった。