神の賜物
ある晴れた昼下がり、晴明はすのこに座して酒を呑んでいた。傍らには博雅も居る。更に、晴明の兄弟子である賀茂保憲の姿もある。
保憲が晴明にある事件の始末を頼み、晴明と博雅がそれを無事に解決してくれたので、今日はそのお礼に来たのだった。
「いや、すまなかったな晴明。」
「なんの…貴方がある程度片付けてくれていたので簡単に済みましたよ。それに、貴方が厄介ごとを持ち込むのはいつもの事でしょう。」
「いつもとは非道いな。たまにしか頼まないぞ。」
「あてになりませぬな。貴方は面倒臭がりでおられるから。」
「いや、参ったな。」
保憲は、鼻の頭を掻きながら屈託無く笑う。
博雅は、その様子を不思議そうに見ていた。
賀茂保憲は、この国の陰陽道を総括すべき賀茂家の嫡男である。にも関わらず、彼は屈託が無い。人柄も、確かに面倒臭がりではある様だが、実直な人柄かも知れない。
晴明も、昔を知る気安さから、彼には遠慮がないようだった。
そんな博雅の視線に気付いた保憲が、微かに博雅に向けて微笑する。博雅は、そこで初めて自分が彼を見つめていた事に気付き、照れたように少し俯いた。
「おや、酒がもう無い。少しお待ちを。今持って来ますゆえ。」
「式にやらせればよいではないか。」
「なに、たまには自分でするのさ。」
そう笑って、晴明が座を立つ。残された2人は、しばらく無言だったが、やがて保憲が口を開いた。
「貴方と晴明は、とても良い友人同士のようだ。あれは、貴方に対しては心を許している。どうか、これからもあれの友でいてやってくれませぬか…」
「いや、そのような…私も晴明とはずっと友でいたいと思っているのですよ。しかし、私なぞに頼まぬでも、貴方と晴明も良い師弟関係だと見受けましたが…」
「いえ。確かに、私はあれを幼き頃より存じています。あれは、澄んだ目をして、誰より際立った才と強い力を持っていました。その故に、人の心の闇に深く関わらねばならず、あれは変質していきました。人を信じず、人に期待をしない。そうあらねばこの世界では生きてはいけぬのです。それは、おそらく人としては不幸な事なのでしょう…」
そう言った保憲の顔は、何処か自嘲気味に口元を微かに上げていた。
「そして、私も同じ世界に生きるものとして…それを知る故に、何も出来なかった…博雅様」
保憲は、博雅と向き合った。
「貴方は、いわば奇跡のような方…貴方が晴明の傍に居る事は、あれにとっては幸運なのでしょう。貴方は、宮中に在って、少しも損なわれぬ。きっと、この世の善きもの、清く尊いものを貴方はあれに教えてくれるのでしょう…」
保憲の、その熱の籠もった言葉に、博雅は狼狽した。
「保憲殿、私はそのような大層なものではありませぬよ。ただ、私は晴明と良き友でありたい、そう願うだけですよ。」
その博雅の、慌てながらも真摯な言葉に、保憲は軽く微笑して、博雅の手を取った。
「そこが博雅様ですな…まったく、貴方は神の賜りものですな。私も、貴方と知り合えた事は幸運でした。」
「おやおや、随分と仲良うしておられますな。」
そこへ、幾分刺の混じった声が背後から降ってきた。
「遅かったではないか、晴明。」
「すまぬ。酒を切らしたようなので買いにやらせていたのだ。」
さり気なく、保憲と博雅の間に割って入る。
「さて、私の居ぬ間に随分仲良う話されたと見える。一体何を話されておいでだったのかな?」
軽く保憲を睨んで、晴明が問う。保憲が博雅の手を握っていた事まで、しっかり見ていたのだ。
「なに、博雅様は良い方だ、とな。博雅様、貴方の笛が聴きたいものですな。
お願いできましょうか。」
「分かりました。私も葉双が吹きたくなった。」
しばらくして、葉双の音色が大気に溶け込むように響いてくる。保憲は、目の前の博雅と葉双の音色を鑑賞しているようだった。晴明も、それを鑑賞しながらもちらと保憲に目を向ける。絶対後で問い詰めてやる。そう誓いながら。